このページの主な話題
死神のソナタ
シューベルトの業病
弦楽五重奏曲ハ長調
アルペジョーネ・ソナタ
ピアノ・ソナタNo.20
声楽曲


































































































































ルプー/シューベルト:ソナタ集(No.1,14,20)icon  




ブレンデル/シューベルト:ソナタ集(No.14,15,18,20,21)icon




























































シューベルト:ピアノソナタNo.21(内田)icon  










































































シューベルト:弦楽五重奏曲(ウィーン弦楽四重奏団)icon

シューベルト室内楽全集Vicon

シューベルト:ます、弦楽五重奏曲他(ウィーン・コンツェルトハウス)icon












アルペジョーネ・ソナタ(ブルネロ)icon


































シューベルト:ます、アルペジョーネ・ソナタ(ビルスマ)icon




















シューベルト:ピアノソナタNo.19,20(内田)icon


シューベルト:ピアノソナタ全集(ダルベルト)icon  









シューベルト:最後の3つのソナタNo.19〜21(アファナシェフ)icon








































F=ディースカウ/シューベルト歌曲大全集icon

ヘフリガー/シューベルト『冬の旅』icon

ヘフリガー/シューベルト『美しき水車小屋の娘』icon

ヘフリガー/シューベルト『白鳥の歌』icon








ヤノヴィッツ/女声のためのシューベルト歌曲集No.1icon



リリング/シューベルト『ミサ曲集』icon



シューベルト


フランツ・シューベルト(1797−1828)
(画像はWikipediaからいただきました)
 シューベルトは、「素朴な田園詩人」とされることが多い。ところが彼の音楽には、非常に不気味な一面がある。人によって、それを感じる曲は違うようだが、私の場合はピアノ・ソナタ第14番イ短調がそうだった。

<死神のソナタ>

 それは93年のことだったと思う。アンドラーシュ・シフによるピアノ・ソナタ全集の録音が進行中で、ある日、ピアノ・ソナタ第16番イ短調を買って帰って聴いたら、なかなか良かった。昔、やはり第16番をポリーニの演奏(「さすらい人」とのカップリング)で聴いたら駄作にしか聞こえず、「シューベルトのピアノ・ソナタなんて、下らない」と思い込んでいたことがある。ところが、ラジオでブレンデルの第20番(イ長調)を聴いてからイメージが変わり、改めて聴いてみようと思ったのだった。

 結論を言うと、シフの弾くピアノ・ソナタ第16番イ短調は傑作のように聞こえた。全く違う曲だと思ったので、もう一度ポリーニを聴き直したぐらいである。どこが違うかというと、この曲には全く性格の異なる二つのモチーフが出る。ポリーニはそれらを最終的にベートーヴェン的予定調和の世界に統一しようとして、失敗している。シフは違うものは違うままに、対立するものは対立したままに弾く。その結果、ポリーニの演奏は何だかせせこましく、深窓の令嬢のお嬢さん芸のように聞こえる(カップリングされた「さすらい人」が圧倒的な名演だっただけに、これは非常に疑問だった)。

 だがシフは、先の見えない世界を先が見えないままに弾くので、意外なスケールを持っているように聞こえるのである。それは夕暮れの湖のようだった。夕日の橙色と、水の濃い藍色、そのちょうどあわいのところに立つさざ波をみているようだった。これらの色を無理に混ぜ合わせても、芸術は完成しない。対立の果てに、たとえば青空が見えるとか、湖の岸辺の木立や山陰の薄い青色が見えるとかいった形での「解決」が必要なのである。シフの演奏は、そうした想像力を喚起するものだった。

 これより前、シューマンのフモレスケを弾くシフをテレビで見て、感心したことがある。実直に弾いているだけのようでもあるのだが、一言で言うと「語り」のピアノだった。詩人のように少し訳の分からないことを言うのでなく、きちんと筋の通った散文を語るようである。たとえば「空が永遠の方に向かって深くなり、赤いひとひらのものがよぎった」などと言う代わりに、「夕暮れの空に、赤々と照らされた木の葉が舞った」と言う。必要なことはすべて説明せずにおかないような演奏であった。だが、何もかもあからさまに語ったからと言って、音楽の本質的な美が消滅することはない。

 そう言えば、ムーティのブルックナー「ロマンティック」の演奏もそうだった。第2楽章は淡々としているのだが、その歩む道のほとりに花が咲く。無理に余情を出そうとしないところに、無限とも言えそうな余情がある。シフのピアノは、そういうピアノだ。

 味を占めて、第14番のCDを買った。この曲は、「ラ、ミ、レ#、ミ」という四つの音符で始まるが、そのときから何だか腐臭の漂う薄暗い雰囲気だ。低音が一定したリズムを奏し、やがて哀願するような旋律が続く。低音で持続していたリズムが、下降音型になる。このところは、歩いていた廊下の床板が突然破れて、足が泥沼に入って行くような感じである。そこに不気味なトレモロが現れる。

 私は半分眠って聴いていたのだが、このトレモロが現れたとき、あまりにも恐ろしいので目を覚まし、CDを止めてしまった。よく分からなかったのだが、子供の頃映画で見た「四谷怪談」のヒュードロドロと同じ恐ろしさだった。「四谷怪談」の恐ろしさは、単に幽霊は恐いといったことでなく、生理的な嫌悪感と苦痛を与えるところにある。つまり漠然とした恐怖でなく、直接的な危険の感覚を与えるとか、ぱっくり開いた傷口を見せつける、といったことをする。

 ピアノ・ソナタ第14番は、正にそうしたスプラッタ・ムービーやホラー映画に共通する恐ろしさを持っていた。何度も通して聴こうと努力したのだが、トレモロに続いて冒頭音型が強音で再現すると、もう耐えられない。結局、一ヶ月もの間、第一楽章を全部聴き通すことができなかった。

 なぜだろうか。英文解説を読むと、シューベルトは梅毒治療のため入院し、病院でこの曲を作曲したと書いてあった(辞書を引かず、大雑把に読んだので、細かく見ると違っているかも知れない)。すると、この場面で出現するのは、幽霊ではなく死神であり、恐るべき病魔だったのではないか。


<シューベルトの業病>

 今日では、梅毒は抗生物質で治療できる病気である。しかし、シューベルト在世当時は、ほぼ治療不可能な恐ろしい病気だった。今日でも、たとえばエイズやエボラ出血熱は恐ろしい。これらは治療方法がないからである。梅毒は、それより恐ろしかった。なぜかと言えば、梅毒は醜くなる病気で、苦痛も甚だしかったからだ。

 容貌が醜くなる病気として、代表的なものが3つある。癩病(ハンセン病)、天然痘、そして梅毒である。天然痘はすでに消滅し、ハンセン病も梅毒も治る病気になったが、昔は顔が化け物のようになるというので、非常に怖れられた。

 ハンセン病は感染力が弱く、長年同居した家族の間で伝染するので、昔は遺伝病と思われていた。それも感染から発病までの経過が長いので、若いときは何ともないが、中年以降になると発病する。そのため、ハンセン病患者は「汚れた血」と考えられて、ひどい差別の対象になった。最近まで、日本政府が隔離政策を続けていたことは、記憶に新しい。江戸時代の豪商で、河川工事や治水などの大技術者だった角倉了以もその「血筋」で、晩年発病して隠遁生活に入ってしまった。ただし、ハンセン病は直接の死因にならず、末梢神経の麻痺などが原因で二次的な感染症にかかりやすくなる。

 天然痘はもっと恐ろしい病気で、感染力も致死率も高かった。発病すると、3分の1はあまり重くならずに助かるが、3分の1は死ぬ。残りの3分の1は、命は助かるが、容貌が醜くなる。女性などは、大変である。四谷怪談のモデルになった原話(四谷雑談)に登場するお岩さんは、天然痘のため醜くなった女性だった。ヘッベルのある短編にも、一人の青年が天然痘にかかり、危うく死にかけたが助かった。それまで優しくしてくれていたおかみさんのいる店へ行って、「重い病気になりましたが助かりました」と挨拶すると、「あら、まあ、そう、ハンサムだったのに、気の毒だわね。でも、もう来ないでおくれね。顔を見ると気持ちが悪いから」と言われたという場面がある。

 昔の人々は、天然痘の感染原因が分からず、空気のように目に見えない恐ろしい魔物がいて、それが襲いかかるのだと思っていた。犬神憑きの犬神も、現代人には分かりにくいが、目に見える存在でなく、空気が突然恐ろしい力を持って人を襲うのだそうだ。

 梅毒は、感染経路が分かっていた。性病なのである。元来は皮膚病の一種で、最初は発疹などが主であるが、病状が進むと骨が変形し、非常に苦痛を伴う。「鼻が落ちる」などと言われ、容貌が醜くなり、たいていは性的不品行の結果なので、周囲からも軽蔑の眼差しで見られる。全身が腐るといった病気なので、末期の患者は体から悪臭を放つことも多かった。

 こうした病状が出ないこともあり、進行麻痺といって、脳梅毒による精神障害が主体のこともある。たとえば、シューマン、ニーチェ、ヴォルフなどがそうだった。ブラームスは、敬愛するシューマンが発狂し、原因が脳梅毒だと知ると、妻のクララを演奏旅行に行かせ、シューマンには面会させないように手配した。シューマンは若い頃、指の麻痺症状が出てピアニストの道を諦めたが、これも梅毒だったとすると説明できるという。指の訓練器で痛めたということになっているが、骨折でもない限り、回復するのが普通であろう。初期の症状が治まり、潜伏期に入ると、末梢神経の麻痺が起こることがあるそうだ。クララには感染しなかったが、それも人に感染しない長い潜伏期だったからである。ニーチェは「永劫回帰」を唱えたが、進行麻痺の特徴は、同じことを繰り返すことにある。シューマンが一度作曲した「トロイメライ」を病院で新たに作曲したと思い込んだように。永劫回帰も、そうした精神疾患のはるかな予兆だったかも知れない。

 シューベルトが梅毒に感染した経過は詳しく分かっていないが、出入りしていたエステルハージ家の女中と性的関係を持っていたので、彼女から伝染されたという説、発病の前年に友人と売春宿へ出かけたからという説がある。発病までの期間(通常一週間から数ヶ月)や、その時同行した友人も感染したらしいことなど、状況から見ると売春婦説の方が正解のようである。

 当時やっと作曲家として出発できたばかりのシューベルトにとって、これは大きな衝撃だった。ほとんど不治の病で、待っているのは悲惨な死なのである。まるで死刑宣告を受けたような感じがしたであろう。というよりピアノ・ソナタ第14番の亡霊出現のような表現から見ると、醜悪な死神が眼前に現れ、屍臭のする息を吐きかけたような気分だったのだ。

 ともかく一度この曲を全部聴いてみようと思ったが、どうしても冒頭動機が強奏で再現するところより先が聴けない。背筋が寒くなり、CDを止めてしまうのだ。

 考えたあげく、他のピアニストの演奏を聴いてみることにして、まずラドゥ・ルプーのCDを買い込んで聴いた。ルプーの演奏は透明感があり、ごくあっさりしたもので、聴きやすかった。これで初めて全曲を聴き通すことができた。死あるいは恐怖の部分と、柔らかく抒情的なコラール風の楽句、あるいは長調の分散和音で勇気をかき立てようとする部分が交代で現れ、やはりベートーヴェン的な解決には到ることなく終わる。

 後になって聴いたブレンデルの演奏は、柔らかい音で、不気味な感じを弱めて弾いていた。ある意味では間違った解釈なのだが、ブレンデル自身も「この曲には不気味な要素がある」と言っているので、意識的にそうした弾き方をしているのだ。

 梅毒には、当時は決定的な治療法がなかった。シューベルトの受けた治療は、水銀軟膏を幹部に塗布し、水銀蒸気を吸入させるというもので、非常に危険だが、功を奏することもあったようだ。彼は内気で引っ込み思案だったと言われるが、実は水銀中毒だった可能性がある。水銀中毒になると、人付き合いが極度に悪くなるという。シューベルトも親しい友人との付き合いしかなかった。

 だが、彼が死んだときの友人の弔辞には「陽気で気さくだった」と言われている。死者を悼むための辞令的な言葉かも知れないが。実際、初期作品には楽天的で快活な要素が強く表れている。もしそういう性格が持続していたなら、彼ほどの才能があれば必ず成功しただろう。

 もっとも、彼の治療は成功していた可能性があり、少なくとも遺骨からは、病状が進んだ形跡は見られなかった。感染は1822年頃と言われ、1823年には初期の病状が出て、入院することとなる。死んだのは1828年だから、まだ骨格に変化が現れるほどの年数ではなく、完治していなかったとしても、潜伏期に入っていただろうという考え方もある。

 水銀中毒は、人間嫌いになることが多いけれども、痴呆の症状はない。かえって創造力が高まることもあるそうだ。ニュートンも水銀中毒だっただろうと言われているが(錬金術的な不老不死の迷信から水銀を服用していたため)、死ぬまで知性が衰えることはなかった。シューベルトも、水銀中毒であっても、作曲活動は死の間際まで続けていた。

 いずれにせよ、シューベルトは、単に死を覚悟したのではない。彼は梅毒感染の宣告を受けたときからもう死んだ人間であり、亡霊となった。そして暗いあの世から帰ってきて、この世への愛惜と賛美を歌う作曲家となったのだった。

 1823年には、あの哀しい「美しき水車小屋の娘」が書かれている。題名のイメージから、のんびりした田園詩のように思っている人が少なくないらしいが、そんな内容ではない。実は私も初めはそう思っていた。「冬の旅」や「白鳥の歌」の後半には、非常に厳しい曲が多いことは知っていたが、「美しき水車小屋の娘」ならのんびり聴けるはずだ。ところが、初めて三大歌曲集のCDを購入して聴いてみたら、とんでもなく哀しい内容だった。この世の美と幸福から永遠に隔絶された青年の、失われた青春を歌う哀惜の声なのだった。

 彼の直接の死因は、腸チフスだったとされている。ただ本人は梅毒の再発だと思っていたらしい。医師も水銀治療を試みた可能性があり、そのために死んだのではないかという人がある。だが梅毒と腸チフスでは症状に違いがあり、いくらヘボな医師でも、そういう間違いは犯さないだろう。現在言われている腸チフス説が正しいようである。

 時折、シューベルト自身も梅毒は完治したと思った瞬間があったようだ。ピアノ三重奏曲第1番変ロ長調などは、そういう時期の作品のように思われる。第2楽章はすっかり問題がなくなった安堵感の中で、日暮れ時に窓から外を眺め、「あの頃は苦しかったなあ」と回想しているような気分である。

 私が第14番に過敏に反応したのは、当時種々の状況から、ストレスのためアトピー様の症状を呈していたからであろう。理由が分からなかったので、何か妙な病気になったと思い、自分でも不安だったのだ。

 あるときピアノ・ソナタ第21番変ロ長調のCDを買ったら、ある評論家が解説を書いていて、この開始主題を「ああ、そんな風に歌ってはいけない、それは別れの歌だ」などと思い入れたっぷりに書いていた。冒頭は「ドドシドレミーー」という音型なのだが、この評論家はショパンの「別れの曲」を連想したらしい。しかもシューベルト最後のソナタなので、当然別れのメッセージが込められていると思い込んでいたのだ。しかし、シューベルトは、まだそれが最後のソナタだと思っていない。もちろんショパンの曲は、まだ書かれていない。

 後期の三大ソナタが書かれたのは、シューベルト最後の年だが、彼はまだ生きられるつもりでいて、新しい境地を開拓しようとしていたように思う。彼の晩年の作品は、どれも非常に意欲的なのである。

 ピアノ・ソナタ第21番は、穏やかな夕暮れに、川のほとりを散歩しているような雰囲気で始まる。ところが、時々音楽の流れを遮るような音が入る。第一主題の提示の途中で低音部にトリルが入り、それが少し不気味に聞こえる。美しい夕暮れの散歩道の近くに、人知れず死体が横たわっているような感じだ。内田光子氏の指摘によると、上声部で長調のメロディを奏でている間、低音部では短調の和音を響かせているような部分もあるそうである。

 しかしそれは、奇怪な感じと言うよりは、ムンク晩年のある絵を連想させるものである。その絵は、地中に死体が横たわっていて、そこから地上に木が生い茂り、木陰には農夫が腰を下ろして休んでいる。

 ムンクは妹の死などを経験して、死について特異な考えを持っていたと思う。生と死の間には、われわれが普通考えるように鮮明な境界がなく、連続しているのである。生命は流体の如く地面に向かって垂れ下がっていき、その先端がやがて地面に触れる。そうすれば大半は死んだことになる。しかし、立ち上がることができればまだ死んでいない。立ち上がったその姿からも、絶えず生命は流れだし、その分死の影が濃くなっていく。言わば、人は少しずつ死んでいくのである。

 だから、彼の描く人物は、みんなふわふわと頼りなく立っているし、若い娘の姿にもなにやら不吉な死の影のようなものが忍び寄っている。垂れ落ちた生命は、道路や部屋の床など、絵の下の方に水たまりを作っている。「月柱」と呼ばれる形態も、柱が立っていると言うより、月から垂れ下がっていると言った方が良さそうに見える。

 だがムンクが精神病院を退院した後は、画風が一変していた。以前は輪郭線が弱いうえ、どろりとした粘度の高い空気の中で、すべてが重力によって下方へ引っ張られているように見えた。輪郭線は空間を仕切るものであり、事物間の不連続性を際立たせるものである。「接吻」などでは、数度の改作を経て、最後には男女の体がほとんど一体になってしまっている。

 しかし、輪郭線の代わりに「声」とか「叫び」のように、空間的距離を越えて伝わるものもあった。それは事物が結ばれていること、生命の声を伝えるものだった。版画版の「声」という作品では、女性の目が大きく塗りつぶされて、空洞になっている。目は輪郭や距離を認識させるものであり、不要になってしまったのだ。

 彼の退院後の絵は、輪郭が強く、事物はもう垂れ下がらないで、上方に向かって立ち上がっているように見える。彼が死体から木が伸びている絵を描いたのは、生命の循環という考え方を医者から強く吹き込まれた結果であろう。つまり、彼は死について肯定的に見るようになったのである。だがそれをあまりはっきり表現されると、たいていの人はぎょっとする。

 シューベルトのピアノ・ソナタ第21番は、そういう曲のように聞こえるのである。人をぎょっとさせるが、彼の恐怖は、ここでついに克服されたのではなかったか?私にはよく分からない。かつて、ロマン派の作曲家たちは、音楽は哲学的思考さえ伝えることができると信じた。ベートーヴェンは「優れた音楽は人の精神を高みへと導くもの」と考え、シューベルトも「楽に寄す」で歌ったように、音楽は「はるかな高い境地」へと誘うものだった。だが、音楽がそうした観念や概念を正確に描き出せるとは思えない。音楽はただ移ろいゆく情念や情感を伝えるだけで、それが意味するものは、作曲家の伝記や標題、歌詞内容などから推し測っているのである。

 シューベルトの最後の日々は詳しく分かっていないので、真に最後の作品がどれなのか、誰にも分からない。ただ最後の年である1828年は、傑作が次々と生み出された最も多産な年でもあった。弦楽五重奏曲ハ長調、三大ソナタ、ミサ曲第6番変ホ長調。一年の間にこれだけの傑作を書くことは、常人には不可能である。その他、しばらく断念していたオペラも新たに書こうと準備していた。「もう終わりだ」と思って過ごしていたのではない。ベートーヴェン亡き後、「これからの時代を切り開くのは私だ」と、むしろ張り切った気分だったと考える方が自然である。これら最後の年の作品群には、それまでになかった大胆さと力強さを聞き取ることができるのだ。


『弦楽五重奏曲ハ長調』

 シューベルトの全作品中でも、私が最も好きな作品だ。ただし第一楽章のみである。第二楽章は断片的な動機が繰り返され、はっきりしたラインを持ったメロディが現れない(中間部の短調部分は長いメロディだが)ので、あまり好みではない。第一楽章は大傑作だと思う。序奏からして構えが大きいが、第一主題がとても大きなスケールを持ち、ベートーヴェンのピアノ・ソナタなどに共通する大胆さがある。流れがせき止められるようなところも少なく、聴きやすい。第二主題は余韻嫋々たるチェロの二重奏で、最高とは言わないけれども、なかなか印象に残るメロディである。

 そうは書いたけれども、ある時、この第二楽章の音楽を映画音楽として使っているのをテレビで見て、「これが好きな人もいるのだなあ」と驚いたことがある。確かスペイン映画で、美しい未亡人と息子が、旅先で孤絶感に苦しみ、ついに母子相姦に走るという、とても見ちゃいられない映画だった。よく「衝撃的な内容」という表現があるけれども、確かに「衝撃的にアホな内容」ではあった。なお、第三楽章は第一楽章にも通じる大胆な音楽で、かなり聴き応えがする。

 ウィーン弦楽四重奏団。カメラータから出ていた室内楽全集に入っている。これはかつてのウィーン・コンツェルトハウスの名演奏によく似ていて、音だけが良くなったような感じである。しかも猿真似でなく、実にすばらしい演奏である。どうやらこれがいわゆるウィーンの伝統というヤツであろう。入手が難しいかも知れないが、興味のある方にはぜひ一聴をお奨めする。

 ウィーン・コンツェルトハウス盤。往年の名盤で、LPに比べ音が強靱かつ鮮明に鳴り、CD復刻されたときは、狂喜したものである。アルバン・ベルク四重奏団の演奏には、あまり納得できなかったからだ。しかしモノラル録音であり、上記のカメラータの全集版が出てからは、唯一無二の名盤と言うほどの存在ではなくなった。私の持っているのは、『ます』、『死と乙女』などが入った2枚組のセットで、「昔は良かった」という人にはいいだろう。


『アルペジョーネ・ソナタ』

 私はチェロを弾いていたことがあるので、この曲は外せない。古今のチェロの名曲の中でも、トップクラスの作品だ。もっとも、これはアルペジョーネという、現在は失われた楽器のための曲である。ギターを弓で弾くようなものだったらしい。第一楽章のメロディは美しくも哀切で、イ短調という単純な調性のためか、透明感のある音楽だ。第二楽章も深々とした味わいがある。

 ブルネロのチェロ、ルケシーニのピアノ。ブルネロは非常に高度な実力のあるチェリストで、ロストロポーヴィチ以降では最高ではないかと思う。ただ最近は指揮活動などをしていて、ちょっと残念なことになっている。期待して購入したが、この曲に関する限り、別にさほどのことはなかった。併録のルクーのチェロ・ソナタもあまり傑作とは聞こえない。ただ、随所に見える瞑想的な楽句の表現はなかなか味がある。

 よく考えてみると、この曲は別に名演や力演を展開するような曲ではない。技巧をひけらかすとか、大見得を切るような曲想は出て来ないからだ。

 シューベルトは古典派かロマン派かという議論をする人があるが、この曲に見るように、情緒的にはロマンティックで、あまり大きな表情がないところが古典派的だ。ある人はシューベルトの作品数がとても多いので、バロックや古典派の職人的音楽家の系譜に連なると考えた。また他の人は、ベートーヴェンまでが古典派であり、生涯を終えたのがベートーヴェンと1年違いであるから、ほぼ同時代だというので、やはり古典派だと主張した。だがその音楽の抒情的性格から見て、明らかにロマン派だという人もある。ちなみに、初期ロマン派の人々は、バッハ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトたちをロマン的な作曲家と見なしていた(シューマン、ホフマン)。モーツァルト以前の音楽を「古典派」と呼んだのはワーグナーたちで、そこには「古くさい音楽」という、多少なりとも軽蔑の意味が含まれていた。ベートーヴェンは作曲家を「芸術家」という観念で捉えたが、それがロマン派の一般的な観念になったので、やはりベートーヴェンはロマン派だという説もあり、昔はベートーヴェン初期は古典派だったが、『エロイカ』の登場によってロマン派音楽が始まったとしていたので、それ以降のベートーヴェンに強く影響されたシューベルトは間違いなくロマン派だともいう。

 私は「作品数が多いから職人だ」というのは納得できない。バロック音楽や古典派の作曲家がたくさんの曲を書いたのは、機会音楽が主体だったからで、多くの曲は一度しか演奏されない消耗品のようなものだった。バッハがたびたび自作曲の使い回しを行ったのは、そのためである。晩年のシューベルトは取り憑かれたように作曲したが、誰かの依頼で書いたという曲は至って少ない。ベートーヴェン以降の作曲家の作品数が少ないのは、自由意志で作曲する際には、繰り返し演奏されることを前提としたからだ。当然熟慮に熟慮を重ね、自分の思想や世界観のすべてを盛り込もうとした。そういう観点では、やはりシューベルトは古典派よりロマン派に近かった。

 ワルター・ノータスのチェロ、井上直幸のピアノ。カメラータの全集版に入っている録音である。この録音を聴くまで、全く知らなかったチェリストだが、なかなかの好演である。

 ビルスマのチェロ・ピッコロ、インマゼールのフォルテピアノ。そもそも古楽器での演奏にどんな意味があるのか、私にはよく分からない。このCDで聴く限り、特別な意味は見出せない。演奏は悪くないが、第二楽章にはもう少し瞑想的な気分が欲しかったところである。


『ピアノ・ソナタ第二十番イ長調』

 ブレンデルによる演奏をラジオで聴き、シューベルトへの認識をすっかり改めたのが、この曲である。あまり意識されないようだが、この曲は実に変な曲なのである。第2主題は上向旋律であり、下降音型の装飾を付けるのが普通なのに、この曲では上向音型の装飾を付けているのだ。だから音楽が上へ上へと、どこまでも舞い上がって行きたいという欲求の表れに聞こえる。言わば拡散的な音楽である。

 ブレンデル。やはりすばらしく聞こえる。まるでその場で新しく生まれたばかりの音楽のようだ。第二楽章が非常に美しいことも特筆すべきだろう。この楽章の中間部で低音からダダダダダと立ち上がってくる楽句を、醜い怨霊の出現のように捉える人もあるそうだ。ブレンデルもこの曲にそういう要素があると言っている。だが、彼の演奏で聴くと、全く逆のようである。濃紺の夜に、透明なマントをまとった精霊が出現して、魔法の杖を一振りすると、最も密かな祝福の星屑をまき散らす、といった具合に聞こえるのだ。

 内田光子。名だたるシューベルト演奏家の中にあって、最高クラスの演奏を聴かせている。シューベルトの解釈者として、現在最も信頼の置けるピアニストではないだろうか。ピアノの音も美しく、万全の演奏と思う。

 ミシェル・ダルベルトのピアノ・ソナタ全集。この全集は断片も収録しており、すばらしい出来映えだ。清潔で透明で、まさに純白の音色がしている。シューベルトの病毒がすっかり洗い流されて、さっぱりした新しい衣服に身を包んでいる。シフの録音は間接音が多く、何やら廊下の向こうの端に置いたピアノをモコモコ弾いているような感じがあった。内田の録音も、柔らかく録ろうとしたのか、ピアノの音としては少し物足りない面がある。実際にピアノを弾いてみると、叩いた瞬間に弦がジーンと鳴るような部分に快感を覚えるものである。このダルベルトの録音は、その「ジーン」が出ている。ただし、コンサート・ホールのように離れた場所から聞くことが多い人なら、意見は違うだろう。

 アファナシェフの後期3大ソナタ集。ゆったりしたテンポで一音一音耳を澄まして聞き入るような弾き方である。シューベルト自身も即興曲作品90の第一曲などは、何気なく浮かんだメロディを弾き始めたら、その音に新しい着想が付け加わって次第に曲が出来上がって行く、といった書き方なので、そういう解釈も正しいであろう。第20番の第1楽章は音響的な可能性を追求したようなところがあるから、なおさらだ。ただ、この人のピアノはいくつか聞いたが、私にはあまりぴんと来ないのである。このCDでは、第1楽章がよく分からない。焦点を定めかねるように思う。第2楽章はたいへん美しい。


声楽曲

 シューベルトは短い生涯に多くの歌曲を遺した。生前に知られていたのは一部に過ぎず、死後に訪れたブームの中で、次々に「新曲」が発表されるという状態だった。その数があまりにも多いので、イギリスでは「シューベルトとは誰なのか?」と疑う記事が書かれたという。何者かがシューベルトの名で偽作しているのではないかと考えたのだ。

 とにかくあまりにも多いので、個々の曲を取り上げて論ずるのはまたの機会に譲るとして、ここでは総論的にご紹介する。

 シューベルトの歌曲は、協奏様式とでも言うのか、ピアノ伴奏が単なる伴奏でない。声楽パートをなぞることがあまりなく、全く独立の声部を成している。実はそれがドイツ・リートの歴史を変えた、革命的だ、と言われる所以でもある。

 彼はピアノがかなり弾けたが、名手というわけではなかった。そのためか、ピアノに歌わせる、ピアノだけで語り尽くすということがあまり得意ではなかったようである。即興曲のようにメロディをはっきり提示するのはいいが、ピアノ・ソナタでは、演奏者によってまるで違った曲になることがある(これに対し、ベートーヴェンは誰が弾こうとベートーヴェンになる)。しかし、歌曲やメロディ楽器の伴奏に回ったときは、充実したピアノ・パートを書いた。

 彼がピアノをあまり得意としなかったのは、少年期に十分な教育を受けられなかったからである。おそらく半ば自己流で弾いていただろう。しかし声楽は宮廷礼拝堂の聖歌隊にボーイソプラノとして所属していたし、サリエリからは作曲も学んだ(この頃にはヴァイオリンも弾いていたらしい)。

 個々の曲について少し触れておくと、私が好きなのは『白鳥の歌』の後半、特に『都会』や『海辺にて』といった、いくぶん象徴詩風の歌詞を持つ作品が好みである。『都会』のピアノ伴奏音型は闇の中にきらめく水のしずく、といった感じを与え、声楽は霧の向こうにぼんやりと浮かび出る都市の姿を描き出す。そこに聴く痛いような別離の感覚は、それまで誰も音楽化できなかった、何か新しいものである。『海辺にて』も、恋人との神秘的な絆を互いに知りながら決して満たされることのない愛、愛し合うがゆえの苦痛と悲劇、といったものを描き出している点で、初期ロマン派より、もっと後代的なものを感じさせる。

 F=ディースカウの『シューベルト歌曲大全集』。F=ディースカウは、百科全書的な録音を果たしたが、中でもこの全集は世界遺産的偉業だ。女声用の曲は含まれていないし、個々の曲では、他にもっと面白い演奏もあるのだが、すべてが一代の名歌手による最高水準の歌唱である。およそ40年前の録音ながら、音質も申し分ない。伴奏はジェラルド・ムーアである。

 ヘフリガーのテノール、デーラーのフォルテピアノによる三大歌曲集。古楽器演奏自体にはあまり興味を覚えないのだが(そもそもそれにこだわるなら、「冬の旅」はシューベルト自身によって初演されたのであり、彼はバリトン歌手だったことを考えるべきだ)、この演奏はいかにも詩情に富んでいて魅力的である。『冬の旅』は特にいいように思う。

 シェーンベルク合唱団による『シューベルト世俗合唱曲全集』。やや珍品に属するCDだが、内容は優れている。現在はハイライト盤が売られていて、全集の形では入手困難かも知れない。独唱歌曲の編曲版もあり、興味深い。録音は学校の音楽室で聴いているような感じで、私の常用スピーカー(5.1チャンネル)では、アンビエントの成分が過多になり、いくぶん不鮮明な感じがある。ヘッドフォンで聴くとちょうど良い響きになる。

 ヤノヴィッツの『女声用歌曲集』(第一集、第二集)。F=ディースカウの全集を補完する目的で買ったものである。輸入盤なので、日本語の歌詞対訳はない(英語訳が付いている)。これは約30年前の録音だが音には全く問題ない。時折ヤノヴィッツ特有の美声に陶然となる演奏で、表現も入念だ。

 リリングの『ミサ曲全集』。『タントゥム・エルゴ』や『サルヴェ・レジナ』なども収録された廉価なセットだ。演奏はさすがと言うべきものであり、録音も取り立てて不満はない。『ミサ曲第6番』は晩年の作品で、非常に魅力的な曲である。また『ドイツ・ミサ(歌詞がドイツ語のミサ曲)』が、定型的なラテン語のミサ曲に比べてずいぶんくだけていて、歌曲の世界に近いように聞こえるのも面白い。


とっぷ  マーラー  ベートーヴェン
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