このページの主な話題
弁証法の時代
驚異のピアニスト
聴衆と演奏家の分離
交響曲第3番『英雄』
弦楽四重奏曲第10番『ハープ』
ピアノ・ソナタ第26番『告別』
ミサ・ソレムニス






















































































































































































































































































フルトヴェングラー/『英雄』(ウラニア盤)icon
















フルトヴェングラー/『英雄』(52年盤)(HQCD)icon








トスカニーニ/ベートーヴェン交響曲全集icon












































クレンペラー/ベートーヴェン交響曲・ピアノ協奏曲全集icon









アバド=ウィーン・フィル/ベートーヴェン交響曲全集icon















バーンスタイン/ベートーヴェン交響曲全集icon





カラヤン・シンフォニー・エディションicon































アルバン・ベルク四重奏団/ベートーヴェン弦楽四重奏曲全集icon






スメタナ四重奏団/ベートーヴェン弦楽四重奏曲第9,10番icon































ブレンデル/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集icon








アラウ/ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集icon






















































クレンペラー/『ミサ・ソレムニス』icon




バーンスタイン/『ミサ・ソレムニス』他、ベートーヴェン作品集icon

ベートーヴェン


ベートーヴェン(1770−1827)
(画像はWikipediaからいただきました)
 ベートーヴェンは1770年に生まれた。ナポレオンが生まれた翌年であり、しばしば運命が交錯しているようにも見えるため、よくその絆が取りざたされる。しかし私はむしろ、同年にヘーゲルが生まれたことに注意したい。ドイツ観念論の王者であり、長くドイツ哲学界に君臨した人物である。Wikipediaでは「その優れた論理性により」と紹介されているが、ヘーゲルの哲学はあまり論理的なものではない。イェナ大学でのショーペンハウエルとの競争講演の結果、ショーペンハウエルが敗れたという話があるが、当時の哲学は学の名に値しないものであり、詩や芸術と変わりがなかった。だから、大哲学者が「巨匠」などと呼ばれている。ヘーゲルもショーペンハウエルも、理科的な思考には弱かった。


<弁証法の時代>

 しかし、ヘーゲルの唱えた「弁証法」という歴史の捉え方は、今でもよく言われることであろう。これは「歴史を全体として捉えると、まず環境に適応した一つの安定な社会状態が現れ、これを『正』とする。しかし、そのまま発展して行くと、やがて矛盾段階に到るようになる。そのため、社会が不安定な状態になる。これを『反』と呼ぶ。しかしその後、矛盾がより高次の段階へと止揚されて、新たな安定状態に到る。これを『合』という。しかしこれは新段階の『正』であって、いずれは矛盾に行き当たり、『反』の状態に陥る。かくして次のもっと高次の『合』が模索されなければならない。人類の発展は、すべて『正反合』の繰り返しとして記述される」というものである。

 かなり大雑把な議論であり、そのつもりなら何でもこの定式に当てはまる。たとえばヘーゲルは、その『正反合』のサイクルが起きるタイムスパンを定量的に表していない。彼は王制を『正』、自由主義革命の動乱を『反』、自由社会の実現を『合』とした。その一方で、身近なちょっとした問題も「これが正しいと思っている→反証が示される→新しい見解に到る」といったプロセスが弁証法だと主張した(と言うより、もともとそれが出発点であり、その考え方を歴史的事象に拡大したのが「弁証法」であった)。これでは、数学的真理のようなものも、経験的にのみ証明されることになる。だが数学では、「経験的証明」などというものは、証明とは見なされないのである。

 後にはマルクスが現れて、親友だったエンゲルスは、マルクス理論を「科学的社会主義」と賞賛したのだが、その「科学的」という言葉の意味は「弁証法に立脚している」という意味を出るものではなかった。当時のドイツ人にとっては、弁証法こそ科学だったからである。しかし、日本人など他国の人々の多くは「科学的=正しく実証された」と思い込み、かくして連合赤軍事件、文化大革命といった狂信者たちの不幸な時代を招くことになる。

 非常に奇妙なことに、現在でも彼らが何を間違っていたのか、そもそも本当に間違いだったのか、しっかりと検証した人もなく、マルクス理論はボロ雑巾のようにうち捨てられている。70年代、80年代には、少し知識のある人たちはマルクス主義こそ正義だと信じていたことが多く、それに否定的な議論をすると、口角泡を飛ばして革命の必要性を説いたものであった。私は革命そのものは良いとして、革命後にどのような社会を作るのか、その具体的な青写真がないことに危惧を抱いていた。マルクスは、社会主義が実現すれば自動的に理想的な社会機構が出来上がると思い、具体的な構想はほとんど述べていない。革命の後には、まず共産主義の理想を理解した少数者による「プロレタリアート独裁」の段階が必要であるが、彼らが公平な分配と助け合いの社会を築き、その後政府機構は全く必要なくなる、と夢のようなことを語っただけなのだ。

 今日では、彼ら共産党幹部たちがファシストと何ら変わりなく、利益と栄華を貪ったことが分かっている。「独裁」であるから、批判する機構もない。マルクスの理想は、人間の本能的貪欲に反していたのである。

 ソヴィエト時代には「弁証法科学研究所」などという、愚かな施設さえあった。「弁証法が正しいということを実証する」という目的で設けられ、子供でもおかしいと分かるようなバカげた実験を行っていたのである。「弁証法的唯物論は正しい」という前提で国家を作ったはずなのに、なおかつそれを実証しようと躍起になったのは、彼ら自身半信半疑のところがあったからだろう。優秀な頭脳を幼稚な仕事に従事させたのは、それだけでも罪悪だ。情報理論を「観念的(ブルジョア的)だ」と批判して、なかなか受け入れようとしなかったことも知られている。そのため、ソヴィエトではコンピュータの研究が発展しなかった。

 今日でも経済学や社会学、心理学などの分野では、実証を欠いた理論がもてはやされることがあり、われわれ素人には真偽を見定めることが難しい。そもそもこれらは過去に起こったことを説明することはできても、これから起こることを予測することは難しいという傾向がある。何らかの予測に基づいて行動すれば、結果が変わってしまうため、予測が正しかったかどうか、誰にも分からなくなる。いくつか有用な経験則もあり、捨てがたいものではあるが、どれも個別事象についてのミクロな法則にとどまっていると考えた方がいい。

 このことはまた別に論じよう。ここではベートーヴェンの時代がいかなるものであったかを考える。それは啓蒙時代であり、優れた人物は大衆を教導する責任があった(現在でもあまり変わらないが)。コンサートは貴族の居間を離れて、市民階級のために開かれるようになった。


<驚異のピアニスト>

 ベートーヴェンは激動の時代に、驚嘆すべきピアニストとして登場した。それは上品なお芝居をしていた舞台で、突然大砲をぶっ放したような衝撃的な出現であり、その名はヨーロッパ中にとどろいた。ベートーヴェンが同時代に理解されなかったとか、収入が少なくて生活に苦しんだというのは正しくない。事実は、評判を聞いたヨーロッパ中で彼のピアノを聞きたいという欲求が高かった。収入も平均的な音楽家よりずっと多かったらしい。

 たとえばあるピアニストは、ベートーヴェンの評判を聞くと、へこましてやろうと競争演奏を申し込んだ。しかしその晩宿へ帰ってくると、げんなりした様子だった。「何しろ今まで聴いたこともないような音楽をするんだから、とても勝ち目はない」と言うのだった。彼はその後、ベートーヴェンの音楽を盗もうと、窓の外で立ち聞きして怒りを買ったという。

 また、各地でベートーヴェンを聴きたいという需要が高かったので、「ベートーヴェンはこういう音楽」と、彼にそっくりのかつらを着け、よく似た弾き方(要するに物まね芸)で演奏旅行をして回ったピアニストもいると言うから、いかに評判が高かったか想像が付くというものだ。もっと後にラジオが登場すると、さすがにこういう芸人は姿を消したが。

 ベートーヴェンは打鍵が激しすぎて、弦を切ってしまうことがあった。ある興行主は、彼を招聘した時、弦が切れた場合のために、代わりのピアノを用意しておいたという。

 その彼も、よく知られているように30才を過ぎた頃から難聴に苦しみ、晩年、第九の初演の頃には、ほとんど何も聞こえなかったそうである。もっとも、1809年、ナポレオンがウィ−ンに侵攻したときは、大砲の音がするたびに枕で耳を押さえて「うるさい!」と怒鳴っていたそうなので、この頃はまだ聞こえていたのである。伝導性難聴であり、ピアノに板を取り付け、それを歯で噛むと、骨伝導により少しは聞こえたそうだ。しかし聴覚の障害はピアニストにとっては致命的であり、演奏活動はほとんどなくなってしまった。また作曲の意欲を失った時期もあったようである。

 彼の初期の作品は、ハイドンやモーツァルトの衣鉢を継ぐもので、比較的軽視されることが多い。だが弦楽四重奏曲(第1番〜第6番)はなかなかの名作であるし、やはり初期の「悲愴」ソナタなども中期の傑作群によく似た雰囲気を持っている。彼が『エロイカ』を発表する前に死んだとしても、古典派作曲家として、音楽史に名前を遺したのではないかと思う。

 しかし何と言っても『エロイカ』や『ラズモフスキー』に始まる中期の作品の雄渾さ、壮大さは、それまでの音楽にはなかったものである。後でも、シューマンが時折こうした響きを取り戻そうとしたらしく聞こえるが、やはりベートーヴェン以外の誰にもない個性の刻印がある。『エロイカ』第一楽章の第一主題はモーツァルトの「バスティエンとバスティエンヌ」の開始にそっくりなのだが、音楽としては全く違っていた。主調の分散和音が、かつてこれほど雄大に響いたことはなかった。


<聴衆と演奏家の分離>

 もう一つの要素として、彼は、中期以降は技巧的に難しい曲をたくさん書いたということがある。当時のピアノ・ソナタは、裕福な市民階級が自宅にピアノを持ち、子女、主に令嬢にピアノを習わせて、家庭音楽会を開くために作曲されていた。モーツァルトのピアノ・ソナタは比較的易しく書かれている。それは、こうした素人演奏家でも演奏しやすいように作曲されていたため、楽譜出版で収入が稼げるのであった。ベートーヴェンの『悲愴』ソナタや『月光』ソナタは、ウィーンでは非常にヒットした作品だった。『悲愴』はクラヴィコードという卓上型の鍵盤楽器で弾かれることもあり、それでも十分音楽が味わえるようになっていたらしい。また『月光』は大変な反響だったが、どうやら第一楽章の幻想的な雰囲気が評判になったようだ。ベートーヴェンはあるとき、「ここじゃ誰もが『月光』のことを言うんだ。ボクはもっといい作品も書いているのに」とこぼしたことがあるという。

 しかし中期以降の作品の多くは非常に難しく、素人では弾きこなせない。後期になると、『ハンマークラヴィーア』のような技巧的に難しいだけでなく、内容的にも高度で、長大な作品を書くようになった。ベートーヴェンは、言わば素人を閉め出しにかかった。

 簡単に言うと、ベートーヴェンは「無知な大衆を教導する」のが優れた人物の役割と考えていたのだ。そして自分をその優れた人物だと思っていた。彼は下手なピアノ弾きが「音楽家」のような顔をしていることが我慢ならなかった。「オレのソナタを弾けないヤツは去れ」とばかり、極度に難しい曲を書いたのはそのためである。

 最近の古楽演奏のオーケストラは、一般に速い演奏をする。「昔はもっと速かった、遅い演奏をするようになったのは、ロマン主義的な考え方のせいだ」という見解がある。だが、たとえば「運命」交響曲(この「運命」というニックネームを付けて呼ぶのは、日本だけらしいが)は、当時ヨーロッパで全部弾き通せるオーケストラは数えるほどしかないと言われていた。第1楽章だけでも、完全に演奏するのはほとんど不可能とされたのである。

 第5交響曲発表当時は、だから、たとえば第一楽章を演奏した後、オペラ歌手のアリアが演奏され、第2楽章があり、ピアノ伴奏でロマンスが歌われ、といったプログラムである。ヴァイオリン奏者は、第1楽章を弾き終わると、腕を休める必要があったのだ。

 現在なら、総合大学の学生オーケストラでも、全曲をぶっ通しで弾くことができる。また小学生が『ツィゴイネルワイゼン』を見事に弾けるように、現代では演奏技術が昔よりはるかに進歩(?)しているのである。それなのに、現代人の視点でも超絶技巧に聞こえるほどの猛スピードで演奏して、「これが昔の演奏だ」などと言われても、にわかには信じがたい。

 いずれにしても当時は、現在の水準から見ると半アマチュアのようなオーケストラが多かったと思う。その少し前、バッハがライプツィヒで使わなければならなかった楽団と合唱団の水準は、とても低いものだった。「古典派時代までの演奏水準はとても高かったが、ロマン派時代の生ぬるい演奏によりレヴェルが低下した」と思っているのだったら、大間違いである。アマチュアの演奏技術は明らかに向上し続けており、オリンピック記録が更新され続けるように、演奏技術は現在の方が高いに違いないのだ。

 だがその中で、ベートーヴェンは完璧な演奏を要求し続けた。それは、やはり半アマチュアを排除するものだった。

 その結果、それまで主流だった「作曲家=自作を弾く名演奏家」という図式は全く崩れてしまった。演奏だけを専門にするプロの演奏家が登場し、一般大衆はコンサートホールで、名人の弾く、大作曲家の「アリガタイ」御託宣を聴いてひたすら感心するだけのものとなった。「作曲家−演奏家−聴衆」という階層化が明確になったのである。

 ベートーヴェンは自分をその階層の最高位、神の位置に置こうとした。階層の頂点にいるのだから、当然報酬も最大になるはずだ。と思ったら、実は演奏家が最大のもうけを手にしていた。なぜだろう?ベートーヴェンは、曲を書いて提供するもの(作曲家)がいなかったら、演奏家はやっていけないはずだと思ったのだろう。現代の流行歌作家と同じような考え方である。アイドル歌手も、同じ歌ではいずれ飽きられる。新しい歌を作ってくれる作曲家が必要だ。

 だが、聴衆がコンサート・ホールで直接接触するのは、作曲家でなく演奏家だ。誰でもコンサートでは拍手するが、作曲家に対してでなく、演奏家に対して拍手するのだ。アイドル演奏家ともなれば、同じ曲でもちょっとプログラムを組み変えるだけでやっていける。現代のピアニストも、「ベートーヴェン弾き」として有名でも、時には趣向を変えてシューマンを弾いたりブラームスを弾いて「ネタ切れ」にならないように工夫している。

 ベートーヴェンはまた、最期のときまでピアノの性能に不満を持ち続けていた。彼が鋼鉄フレームの現代ピアノを弾いたら、驚喜するだろう。最近は古楽器でベートーヴェンを演奏する人もいるが、あえて作曲者が不満に思った楽器で演奏する意味は小さいと思う。現代ピアノは、ベートーヴェンを十全に弾くために発達したと言っても過言ではないと思うのである。


交響曲第3番変ホ長調『英雄(エロイカ)』

 上記のように、これはベートーヴェン中期の傑作群の最初の作品であり、かつてはこれが初演された1804年をもってロマン派音楽の始まりとされていた。ベートーヴェンはあまり音の美しさに注意を払わない傾向があったが、エロイカでは、全体の響きに色彩感と美しさがあるように思う。第一楽章はとうとうと流れる大河のような音楽であり、私はいつもセザンヌ的な色合いを感じていた。スコアを見ると、和音の強打の連続に、長調と短調の和音が入り交じるので、力強さの中に少し翳りを帯びた響きがあるのだ。この浩瀚さは、それまでバッハにしかなかったものであろう。第二楽章もすごいと思う。この楽章は暗い葬送行進曲であるが、中間部で一度長調に転じ、雄大なファンファーレを奏した後、悲劇的なフガートになり、その後低弦のリズムに乗って、トランペットが「最後の審判」のように鳴り渡る。

 フルトヴェングラー=ウィーン・フィル(44年録音)。いわゆる「ウラニア盤エロイカ」である。もちろんモノラルで、お奨めするには躊躇があるが、若い頃、大阪・梅田新道にあった「日響」という喫茶店で初めて聴いたとき、第二楽章中間部のフガートで思わず涙をこぼしたことがあり、忘れられないのである。もちろんこの曲は知っていて、レコードでも実演(多分朝比奈=大フィル)でもいくつかの演奏を聴いたことがあった。レコードでは、トスカニーニが一番気に入っていた。フルヴェンについてはかなり大げさな話が伝えられているように思った。だがこの「ウラニア盤」の演奏は、何か隔絶したものがあった。第二楽章中間部の長調部分は、何か遠い夢のようなテンポで始まり、一瞬強烈な歓喜の光に包まれるのだが、再び葬送行進曲に戻って、悲劇的なフガートになる。確か第一撃は何とも思わず、第二撃、第三撃と連打を食らって泣いたのだ。まだ若かったが、あの頃のつらい思いは、今も忘れられない。

 フルトヴェングラー=ウィーン・フィル(52年録音)。ベスト・ワンに祭り上げられることの多いEMI録音である。昔LPで聴いた音は恐ろしく貧弱だった記憶があるのだが、最近のCDは想像以上にいい音になっている。LPとは管楽器のふくらみが断然違い、艶も感じられる。録音自体はウラニア盤よりいいと思う。第1楽章は、「確かにこれが『英雄』だ」と思わせるものがある。第2楽章は、ウラニア盤の感銘には及ばない。

 トスカニーニ=NBC(53年録音盤)。『エロイカ』は、最初ワルターのレコードで知ったのだが、正直なところ、どういう音楽なのかさっぱり分からなかった。次に聴いたのはトスカニーニで、これは強烈な演奏だった。音も強烈で、耳をつんざくように鳴るので、とてもまともに顔を上げて聞いていられない。フォルティッシモになると、思わず「うへえ」と顔を伏せたくらいだった。だが、音楽は感銘が深かった。初めてこの曲が分かった、と納得したものである。

 だがCD時代に入り、復刻されたものを聞くと、かつての強烈な音でなく、かなりマイルドになっている。

 彼の録音は数種類あるようで、そのうちどれを聴いたのかは分からない。現在手元にあるのがBMGの交響曲全集で、それは53年徳音である。とにかく、彼の演奏に反感を持つ人でも、表現の焦点がぴたりと一点に集中しているが故のわかりやすさ、時には溢れるような歌も聴かれるすばらしい演奏であることには異論があるまい。第二楽章は「アダージョ」と指定されているが、トスカニーニのテンポは、それより遅いそうである。ある人がそのことを指摘すると、トスカニーニは「ベートーヴェンが間違えたんだ」といって、全く取り合わなかった。中間部はなかなか壮麗で輝かしい。フガートの後に続く、最後の審判のようなラッパの音が響く部分は、まるで大地が引き裂けたような印象があった。

 子供の頃、近所にキリスト教の神父だか牧師だかの家があり、たまに子供を呼んで話を聞かせることがあった。このとき、初めて原爆の惨禍を聴いた。空が赤黒く、キノコ雲が立っていて、地面には赤剥けの死体が横たわっている。その絵を見せながら、戦争の恐ろしさ、許し合うことの大切さなどを語るのだが、まだ幼かった(確か5,6才)には、あまりよくは分からなかった。ただ「戦争は悲惨だ」ということ、原爆は人類がそれまでに見た最も恐ろしい爆弾であることだけだ。

 トスカニーニの第二楽章中間部には、その赤黒い空と、大地に横たわる赤剥けの死体を連想させるものがあった。昭和30年代に入ると、建設ブームが訪れ、あちこちで空襲の跡のままに放置されていた広大な空き地が掘り返された。遊びに行くと、土が小山のように盛り上がり、深い溝があって、今思うと土台部分を作っているのだったが、どこまで歩いても土がもりもりした起伏を作っていて、植物が全く存在せず、私の目には大地が引き裂かれた、原爆の後の風景のように見えた。

 クレンペラー=フィルハーモニア。59年というから、もう50年も前の録音だ。私の所有しているのはバレンボイムとのピアノ協奏曲全集も入った廉価な交響曲全集である。少々高音がきつく聞こえる。甘さのない剛直な音楽ということになるだろうが、楽器のバランスは意外に入念で、部分的に和声進行の不思議さが露わになるところがあるし、フルートなどの木管のソロは魅力的に鳴る。そういえば『魔笛』のフルートが何とも言えないふくよかさ、たおやかさを聞かせたのは、クレンペラー盤だった。

 アバド=ウィーン・フィル(交響曲全集)。85年ディジタル録音で、音はとてもいい。彼がこの後に録音したベルリン・フィル盤は聞いていないが、世評によると大差ないそうだ。百年間変わることなく演奏され続けていたような感じで、何も新しいことは起きない。強いて言えば弦楽器がみずみずしいニュアンスを持っている。オケはうまいし、何の欠点もない、万全の演奏・録音である。この交響曲全集の不満は、「序曲集」が入っていないことだ。

 チェリビダッケ=ミュンヘン・フィル。33枚組のボックス・セット中の一枚である。これを購入した当初、どのCDも世評の割にはあまり良くない印象だった。何だかどれもこれも、手垢の付いたルーチン仕事のように聞こえたのである。チェリビダッケは私の体質に合わないようだ。しかし改めて『英雄』を聞いてみて、表情がふくよかだし、第1楽章のピチカートによるリズムが強調気味なのは、なかなか面白いと思った。

 バーンスタイン=ウィーン・フィルの交響曲全集盤。録音はいいし、テンポ、表情とも納得できる演奏だ。第1楽章の金管のリズムなど、チェリビダッケ流の手慣れた感じとは全く違う鳴り方をする。ただ、彼のマーラー演奏のような、特別な感じはない。

 カラヤン=ベルリン・フィル。私はアンチ・カラヤンなので、彼の録音はあまり真剣に聞いてこなかった。ところが先般「カラヤン・シンフォニー・エディション」という38枚組の廉価なセットが出た。ベートーヴェンは75年から77年にかけて録音されたものである。このセットの中では、チャイコフスキー以外は聞いたことがなかったので、購入してみた。

 感想を言えば、マーラーが入っていないのは残念だが、ブルックナー全部とメンデルスゾーンの「スコットランド」、チャイコフスキーの第1番「冬の日の幻想」は抜群の名演、他の録音も水準以上なので、価格を考えれば、一家に一セット備えておいて損はない買い物だった。

 『英雄』の第1楽章は、せわしないテンポであわただしく過ぎ去る。どうやら第2楽章に頂点を置いているらしく、フガート部分や、その後の「最後の審判」のラッパは、ひときわ力がこもっている。第4楽章はなかなか聴き応えがあるが、もう少しソロが引き立って欲しいところだ。


弦楽四重奏曲第10番『ハープ』

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲では、やはり『ラズモフスキー』(第7番〜第9番)がすばらしいが、ここでは特に『ハープ』を挙げる。第二楽章は、ベートーヴェンの書いたメロディとしては、最も美しいものの一つである。ベートーヴェンが案外メロディメーカーだったことは、あまり知られていない。ピアノ・ソナタ『悲愴』の第二楽章の主題は、先年テレビCMで、女性ポップス歌手によって歌われていたことがある。曲名を知らなくても、なかなかいいメロディだと思った人があるだろう。交響曲第7番の第二楽章の主題も、初演当時からもてはやされた名旋律である。

 アルバン・ベルク四重奏団(旧全集盤)。この『ハープ』の魅力を教えてくれた名演である。緊密なアンサンブルを展開した名四重奏団だったが、シューベルトはあまり感銘を受けない。ベートーヴェンは理想的な演奏である。『ハープ』は親密な感じで弾いており、第二楽章はとても美しい空間を作り出している。

 他にスメタナ四重奏団のCDも持っているが、第2楽章はやや物足りない。むしろ併録の第9番「ラズモフスキー第3番」の方が聴き応えがする。どうしたわけか、こういうメロディを歌わせることは、あまり得意ではないようである。


ピアノ・ソナタ第26番変ホ長調『告別』

 この曲はゴマスリ作品だ。ベートーヴェンの後援者だったルドルフ大公が、ナポレオンのウィーン侵攻から逃れるために疎開し、翌年帰還する。その別れから再会の喜びまでをそれぞれの楽章の標題(告別、不在、再会)としている。

 ベートーヴェンのような人物が大公殿下を人間として愛していたとは思えないので、その愛情は、もっぱら大公殿下がくれる金に注がれていたのだろう。今日の若者なら「結局カネかい」と言いそうだが、大公殿下から見ると、そうした欲望と関係なくベートーヴェンの才能を愛していたわけである。自分が愛されていると思ったら、ストーカーに追われている人以外は、だいたいにおいて幸福感を持つものだ。その意味では、ベートーヴェンも大公を愛していなかったとは言えない。

 しかし音楽内容は非常に優れている。多分大公殿下の帰還に際して、それまでに書いてあったソナタに標題を付加したのだろう。特定のメッセージを送っていると言うより、ベートーヴェン中期の作品らしい雄渾で瞑想的な気分がある。間違いなく名作の一つだ。今日のピアニストの多くは、標題など全く考慮せずに弾いているはずだ。

 ブレンデル(ディジタル録音による全集版)。美しい音で十全に表現された録音である。旧全集録音は聴いていないが、実に魅力的な演奏なので、これを聴いていると「他のCDは不要」と思ってしまう。ブレンデルはベートーヴェン、シューベルト、モーツァルト、シューマン、それになぜかリストで卓越した技巧と叙情性豊かな演奏を展開した。それがフィリップスのすばらしい録音技術で、余すところなく捉えられ、CDとして申し分ない仕上がりだ。

 アラウ(二度目の全集版)。アラウのベートーヴェンが嫌いな人はいないだろう。彼のレパートリーはなぜかブレンデルに似ている。ブレンデル+ショパン、ドビュッシーなのだ。だがブレンデルに比べて思い切りの良い、いわゆる「男性的な」きっぱりとした演奏である。ブレンデルがあまりショパンを弾かなかった理由は分からない。アラウのショパンは非常にすばらしいもので、『夜想曲集』など、その鋭敏で繊細な感受性は、今でも最高だと思う。その意味では、ベートーヴェン演奏は全く違った相貌を持っている。繊細さより力強い打鍵と大見得を切るスカッとした気分の良さがあるのだ。この二人の名手を比べるのは、私には僭越なことに思える。なおこの二度目の全集は、すべてディジタル録音になるはずだったが果たせず、「月光」と「ハンマークラヴィーア」は旧録音が入っている。

 最近は中道郁代など日本人ピアニストにも興味を持っているが、残念ながら詳細に聞く機会がない。


『荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)』ニ長調

 ベートーヴェンの信仰がどの程度のものだったかは分からないが、この曲は「史上3大宗教曲を挙げよ」と言われれば、「マタイ」とともに、必ずその3曲中に含められる大傑作である。特に「ベネディクトゥス」のヴァイオリン・ソロは陶酔的な美しさだ。

 研究者によれば、イエスが死んで3日後に甦ったという復活の秘蹟を語るところが、古今の宗教音楽に類がないほど、そそくさと通り過ぎてしまうので、どうやら彼は復活を信じていなかったらしいという。

 先に述べたように、彼の時代にはヘーゲルの弁証法が一世を風靡していた。ヘーゲルは科学的思考に弱かったので、無知に基づいてニュートン物理学を攻撃したが、メスメルの磁気治療は無条件に信じ込むという他愛もない人物だった。

 だが同時に産業革命の初期でもあり、科学と知識が急速に広まった時期でもある。ベートーヴェンも宗教については、かなり割り切った考え方をしていたらしい。

 「心より出ず、再び万人の心に入らんことを」というモットーが書かれているそうだが、モーツァルトの「グラン・パルティータ」の項で書いたように、万人に優しい眼差しを注ぐといった曲ではない。ただ、ベートーヴェンとしてはあまり攻撃的でない、柔和な表情を持つ音楽で始まることは確かである。前半はどちらかと言えば『合唱』の終楽章に似た雰囲気持っている。

 この曲の聞き物は、やはり全曲の3分の2を過ぎた頃に出る「ベネディクトゥス」のヴァイオリン・ソロだ。そこまでは、どちらかと言えば『第9交響曲』の終楽章を繰り返し長々と聞かされているようで、そもそも『第9』がそれほど好きでない私としては、あまりうれしくないのである。

 クレンペラー。65年録音。何か「強靱な意志」に貫かれたような演奏で、音もそれほど悪くない。ベネディクトゥスはなかなか美しく、天上から光を伴って舞い降りるような感じの音楽になっている。終曲は壮大である。

 バーンスタイン=コンセルトヘボウ。78年のライブ録音だ。私の持っているのはアムネスティ・インターナショナル・コンサートや、ベルリンの壁コンサートにおけるベートーヴェン録音を集めたCDのセットである。購入目的は、交響曲全集に序曲集が入っていなかったので、補完的な意味であった。ライブの割には音が良い。熱っぽい演奏だが、コンセルトヘボウの演奏技術もあって、完成度は高い。ベネディクトゥスのソロもたいへん良い。クレンペラーがばら色の光輝に満ちた天空を思わせるのに比べると、何やら 星々の光る夜空の気分が漂うのが不思議だ。


とっぷ  シューベルト  プッチーニ
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