このページの主な話題
憂鬱な天才
最後?のロマンティスト
交響詩「死の島」
交響的舞曲
前奏曲集
乙女よ、もう私のために歌うな






































































プーランク/歌劇「カルメル会修道女の対話」icon
























































アシュケナージ/ラフマニノフ交響曲・管弦楽曲集icon











A.デイヴィス/ラフマニノフ『死の島』『交響的舞曲』icon










































アシュケナージ/ラフマニノフ交響曲・管弦楽曲集icon



A.デイヴィス/ラフマニノフ『死の島』『交響的舞曲』icon









アシュケナージ/ラフマニノフ前奏曲集、ピアノ・ソナタ第2番icon




リンパニー/ラフマニノフ『24の前奏曲』icon


























ゼーダーシュトレーム/ラフマニノフ歌曲全集icon






ヴィシネフスカヤ/ラフマニノフ、グリンカ歌曲集icon

ラフマニノフ


ラフマニノフ(1873−1943)
(画像はWikipediaからいただきました)
 ラフマニノフは、20世紀前半の最大のピアニストだった。手が人並み外れて大きく、非常に難しいパッセージを楽々と弾きこなした。彼のピアノの先生はジロティ(シロティ)という。かつてロシアの名人ピアニストを数多く育てた名教師である。


<憂鬱な天才>

 しかし、彼は生涯を通じて猛烈な鬱病に悩まされた。自信を持って世に問うた「交響曲第1番」の初演が酷評され、重い神経衰弱になり、一時は作曲家になることを諦めた。しかし医師に催眠療法で「あなたは天才だ、あなたは天才だ」と暗示をかけてもらい、やや立ち直ったところで作曲した「ピアノ協奏曲第2番」が好評だったので、その後積極的に作曲活動を展開した。

 こう聞けば、批評家たちの意地の悪い評価(「交響曲第1番」は駄作ではなく、今聴くとなかなかの傑作である)が原因で神経衰弱になったが、その後すっかり良くなったんだと考え勝ちだが、実はそうではなかった。

 後にラフマニノフをアメリカに招いた人物が回想したところでは、彼がラフマニノフの到着を待っていると、ドアをノックする音がする。ドアを開けると、そこには悲しみに打ちひしがれ、絶望した、世にも哀れな男が立っていた。思わず「おお、あなた、お気の毒に。一体どうなさったのですか」と尋ねるところだった。

 彼は疲れていたのではない。憂鬱の発作に駆られると「世にも哀れな男」になってしまうのだった。近年、ラフマニノフはマルファン症候群だったのではないかという説が出されている。遺伝病で、一般に身長は高く、指が長く、しばしば強度の憂鬱症を伴うという。ラフマニノフの所見はかなりよく該当する。

 そうだとすると、憂鬱の発作が起きた時期と、作品を酷評された時期が、たまたま一致したのであって、必ずしも因果関係があったとは言えないことになる。マルファン症候群は、幼児期に異常が現れることもあれば、成人してから現れることもあるそうで、このときが病気の最初の発現だった可能性もある。


<最後?のロマンティスト>

 そのことはさておき、絶大な人気を博した彼のピアノ演奏だったが、彼自身は常に作曲を志向していた。特にチャイコフスキーを尊敬し、彼が20歳の時、チャイコフスキーが死んだと聞いて、ひどく嘆き悲しんだそうだ。

 彼は天性のメロディストで、甘美なメロディをやすやすと生み出した。ハリウッドの音楽に大きな影響を与えた濃厚な叙情性と官能性があり、明らかに最後のロマン派作曲家の一人である。

 私がクラシック音楽に関心を持つようになった62年頃は「チャイコフスキーの亜流にすぎない」と否定的な評価が一般的だった。彼の他にも、プーランクが「保守的な作曲家で、あまり聴くべきものはない」と言われていた。当時プーランクはまだ在世していて、フルート・ソナタの日本初演をラジオで聴いた思い出がある。そういう時代だった。当時の音楽評論家たちにとって、「進歩的」とはブーレーズたちの十二音やジョン・ケージのような偶然性の音楽、リゲティのトーン・クラスター、シュトックハウゼンの電子音楽などであり、聞き覚えて口ずさむことのできるメロディを書いているようでは、「音楽は進歩しない」のであった。

 実は、私はその頃作曲家になりたいと思って、楽器を使わずにメロディを聴き取って楽譜に書いたり、頭に浮かんだメロディをその場で楽譜に書くという練習をしていた。いわゆる聴音なのだが、始めたのが遅いので、絶対音感はない。何とか相対音感での聞き取りはできるようになったが、兄からは「絶対音感がなければ作曲家にはなれない」と言われるし、評論家たちが口を揃えて「メロディを書いているようでは進歩的とは言えない」と言うので、途中で諦めた。

 だが、あれからもう45年以上経つが、プーランクもラフマニノフも音楽愛好家から見放される様子はない。サラリーマンが帰宅してくつろごうというときに、ジョン・ケージやリゲティを聴いているとは思えない。電子音楽は今では聴いて何の感銘も受けないが、プーランクのオペラ『カルメル会修道女の対話』や合唱曲などは、現在でも衝撃的である。

 おそらく、音楽におけるロマン的なものは、音楽の本質であって、それを否定するのは自らがそこに育つべき土壌を拒否しているのだった。針金やゼンマイの金属細工で作った見せかけの土壌に花を咲かせようとしたのだが、それは不可能だった。その下に横たわる大地こそ本物の土壌だったのだ。

 ともかく、時代遅れと言われようと何と言われようと、ラフマニノフは美しく魅力的な楽想を展開した。そこにどうしようもなく憂鬱な想念があったにしても。

 暗い音楽を書いた作曲家は少なくないが、いつも暗いという意味で「暗い作曲家」を三人挙げよと言われたら、私はラフマニノフ、マーラー、ショスタコーヴィチを選ぶ。ただ、一口に暗いといっても、三者三様だ。マーラーは、表面的には華々しい音楽を書いたが、最も大切な人を裏切ったことがある人の音楽で、自分自身に何か許せないものを感じている。ショスタコーヴィチは、反対に、一番大切な人に裏切られた人のような音楽を書いた(この部分、図式的な言い方で、不正確なところはあるが)。ラフマニノフの場合、人類の未来に暗いものを見ているのだが、それが人類の愚かしさや不正義のためではないと感じているようだ。むしろラフマニノフは、他者を信じており、温かく見ている。暗く冷たい場面でも、どこかに温かみが残っているように思うのである。

交響詩『死の島』

 ベックリンの絵を見て着想した作品である。この絵は画面中央に死者の住むという島が描かれ、黄泉の渡し守(?)が小舟に新しい死者を乗せ、島に向かっているところである。島と言っても、大きく盛り上がった岸壁に窓が穿たれ、城壁のように見える。

 曲は珍しい5拍子で始まり、「ララ・ラララ」と2+3拍子になったり、「ラララ・ララ」と3+2拍子になったりと変化する。それが船の櫂を漕ぐ様子を表すという。音楽が盛り上がると、トランペットに「ディエス・イレ」の旋律が現れる。決定的な破滅の宣告である。こういう部分に、人類の破滅は必至であること、それにもかかわらず人々は懸命に、かつ誠実に生きようとすることが語られているような気がするのだ。

 グレゴリオ聖歌「ディエス・イレ」は、死を表すモティーフとして引用されることが多く、ベルリオーズの『幻想交響曲』の終楽章では、ほぼ原型に近い引用がある。「ドシドラシソララ」という旋律(本来は「ファミファレミドレレ)だが、ラフマニノフでは、それぞれの音符の長さを変えているので、ぼんやり聴いていると気がつかないかも知れない。

 アシュケナージ=コンセルトヘボウ。初めてこの曲を聴いて驚嘆したのがこの演奏だ。LPで、A面が『死の島』、B面は『交響的舞曲』だったが、音楽的内容といい、演奏の見事さといい、抜群だと思った。アシュケナージの指揮ぶりにはいろいろ批判もあるが、私は悪くないと思う。少なくともコンセルトヘボウを振ったラフマニノフ録音はすばらしい。

 これはディジタル録音であるが、当時の私はまだディジタル録音に対する不信感があり、その良さを認識させたLPでもあった。現在はCDのセットで、「交響曲/管弦楽曲集」に含まれているものを聴いている。楽器の音に艶と厚みがあり、いい音がすると思う。

 A.デイヴィス=ロイヤル・ストックホルム・フィル。「ULTIMA」シリーズで出ていた廉価盤6枚組のラフマニノフ作品集である。ラフマニノフにしては明るめの音がするが、キレもいいし、強音一撃の後に「どうだ」と見得を切るような一瞬の間があるのも面白い。このCDのセットは、曲目の選択がとてもいい。交響曲はNo.2だけだが、ピアノ協奏曲No.2〜4、チェロ・ソナタ、組曲No.2(ラベック姉妹)、前奏曲集Op.3、Op.23、Op.32(リンパニー)が入っている。それに『交響的舞曲』と『死の島』である。前奏曲集はなかなかいい演奏だった。残念ながら廃盤のようだ。


『交響的舞曲』

 最晩年(40年)の作品で、彼の傑作の一つである。三つの楽章からなり、実質的には交響曲と言えるかも知れない。この曲には、交響曲第1番(初演で酷評され、神経衰弱に陥った作品)の残映がある。ラフマニノフは、生前は二度とこの曲を上演させなかったそうだが、モティーフのいくつかには愛着があったらしく、『交響的舞曲』には交響曲第1番の楽想のいくつかが現れる。かなり熟達した筆致なので、交響曲にあった一種のみずみずしさは遠のいているが、より巧妙であるとも言えそうだ。終楽章のリズムも共通感がある。

 全曲が憂鬱な雰囲気に覆われ、メロディもうめくようであり、すかっと抜けた気分はないのだが、逆にカタルシス作用がある。私の場合は、かえって元気が出る。ラフマニノフは超人的なピアニストだったのだが、指揮が天才的に上手だったという。そのせいか管弦楽法は見事である。

 アシュケナージ=コンセルトヘボウ。上記のように『死の島』とカップリングされたLPで知った。初めは『死の島』に比べて少し親しみにくい曲のような印象があったが、繰り返し聞くうち、傑作の一つだと思うようになった。

 A.デイヴィス=ロイヤル・ストックホルム・フィル。前述の「ULTIMA」シリーズで出ていた廉価盤6枚組の一枚である。演奏は『死の島』と同じようなことが言える。明るめの音がするが、キレのいい演奏である。


『前奏曲集』

 Op.3の前奏曲嬰ハ短調は、「幻想的小曲集」という曲集の第2曲。鐘の音を模したといわれる有名曲で、アメリカで大ヒットし、ラフマニノフが演奏旅行すると必ずこの曲をリクエストされたので、何度弾かされたか分からないほどだったそうだ。Op.23は10曲からなる前奏曲集で、第5曲ト短調などは有名だろう。軽快な踊りのリズムなのだが、なぜか音楽の表情は悲壮感に満ち、「死の舞踏」的な壮絶な曲である。Op.32は13曲からなる曲集。全部合わせると24曲になり、24の調性全部がそろっていて、ショパンと同じように「24の前奏曲集」と呼ばれることもある。

 アシュケナージ。得意のラフマニノフなので、際だった個性もないが、すべてが水準以上の表現である。前奏曲の他、ピアノ・ソナタ第2番が入った2枚組のCDである。他に『音の絵』や『コレルリ変奏曲』が入ったセットも販売されている。

 リンパニー。上記の「ULTIMA」シリーズに入っているもので、満足できる演奏だと思う。透明感と叙情性があり、録音も実体感のある音で捉えられている。

歌曲『乙女よ、もう私のために歌うな』 Op.4−4

 抗しがたい魅力を持つメロディである。歌曲はラフマニノフの作品群の中核を成す部分でもあった。Op.4の4は、1893年の作曲だというから、まだ20歳である。Op.4の『6つの歌』全体が、17歳から20歳までに書かれた青春歌曲集なのである。Op.8の『6つの歌』も1893年である。

 これらは、美しいメロディがとめどなく溢れてくる天才の一時期の作品だ。

 ロシア歌曲といえば、私の頭にはまずムソルグスキーが思い浮かぶ。そして次にラフマニノフ、ショタコーヴィチ。ショスタコーヴィチは、休日にくつろいで聴く気にはなれない。『ミケランジェロ歌曲集』など、芸術的にはすばらしいものだが、気持ちを落ち着けさせるたぐいの音楽ではない。

 そこへ行くと、ラフマニノフは甘美なメロディが次々と現れ、落ち着いた気分で聴ける。

 ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)、アシュケナージ(ピアノ)。『ラフマニノフ歌曲全集』の冒頭に入っている。この歌唱はかなり攻撃的に張り詰めた歌いぶりである。伴奏のアシュケナージは透明感がある。悪くないのだが、やはり少し声を抑えて欲しい感じは否めない。かつてこの歌曲全集は対訳付きの国内盤があったが、現在のところ廃盤となっている。

 ヴィシネフスカヤ(ソプラノ)、ロストロポーヴィチ(ピアノ)。『ラフマニノフ&グリンカ歌曲集』(ラフマニノフ5曲とグリンカ8曲が入った国内盤)。グリンカが珍しい。なかなか魅力的な演奏である。ゼーダーシュトレーム盤よりゆったりしたテンポで歌っており、高音の弱声が美しい。ヴィシネフスカヤは、もちろんマリア・カラスばりの美貌のプリマ・ドンナだが、歌曲も時折録音していた。特にムソルグスキーの『死の歌と踊り』をロストロポーヴィチの管弦楽伴奏で歌ったものは、愛聴盤の一つである。


とっぷ  シベリウス
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