オーディオは迷信だらけ2


超音波が入っていると音がいい?

 超音波が入っていると音はいい。そう主張する人がある。彼らの言うところでは、CDは可聴帯域の上限を勝手に20kHzと決めて、それ以上の高音をカットしている。このために不自然な音になっている。

 かつて朝日新聞がこの主張に則ったキャンペーンを展開していた。96年頃だったかと思う。なぜ社を挙げて反CDキャンペーンをする必要があったのか、私にはよく分からない。単に新しい技術に対する不信感だったのか、それともCDに対する恨みでもあったのだろうか?とにかく、朝日新聞の主張は、「アナログは良かった、CDはとんでもなく悪い商品だ」ということにあった。

 その論拠の一つが、「CDでは20kHz以上の超高域をカットしている、だから音が悪い」というのであった。ある大学の教授が、実験で「超高域の音を聴くと、脳波中にアルファ波が増える」という結論を出すと、朝刊の第1面に麗々しくカラー写真で脳のPET撮影像だったかを載せ、「だからCDは悪い」と書き立てた。

 私も少なからずショックを受け、よくよく記事の詳細を読んだら、こういうことだった。

 被験者に通常の(20kHz以上をカットした)CDを聴かせて、脳波を計測する。また、特別に製作した50kHz(?)まで録音された音を聴かせ、同じように脳波を測定する。その結果、通常のCDでは特に変化は見られなかったが、超高音の入った音では、脳波の状態が変わり、アルファ波が増えていた。アルファ波が出ている状態はリラックスしているとか、瞑想状態にあることを意味し、健康に良い。ゆえに通常のCDは健康に悪い、LPは高域カットがないから健康に良かった、云々。

 私には全く信じられなかった。われわれは日常、超音波カットなどしていない音を聴いている。だからといって、そんなに脳波が異常にたるんだ状態で暮らしてはいない。多分実験手順の不備だろう。こうした実験は、ダブル・ブラインドで行わなければ意味がない。おそらく被験者は「これから人間の耳には聞こえない、超高音が入った音を聴かせますよ」と言われたのだろう。そうすると、普通の人なら、一生懸命にその「普通の人には聞こえない音」を聴き取ろうとする。一心に耳を澄ます状態は、実は瞑想しているときの状態に似ている。

 そもそもLPには、そんな高周波は入っていなかったはずだ。かつて4チャンネル・レコードというのが出たことがある。最近のサラウンドと同じようなものだが、それをアナログ時代に試みたのである。各社が必死のキャンペーンを張ったが、種々の方式が乱立したせいもあって、ついに普及せず、消えてしまった。レコード会社が熱心だったのは、レコード市場にヒットさせようとした面もあったが、より大きな動機は余分なスピーカとアンプを消費者に買わせることにあったのだろう。

 その当時、サラウンド用の音声をレコードに刻む方法が問題になった。多くのメーカーがステレオ信号からサラウンド信号を抽出合成する方式を提案したが、日本ビクターは、「レコードには20kHz以上の成分は全く入っていないので」、サラウンド音声を搬送波45kHzのFM信号として音溝に刻む方法を開発した。そのためには45kHz以上の信号を再生する必要があるので、カートリッジも新たに開発した。このカートリッジは、オーディオ協会だか何だかの技術賞を受賞した。

 あれれ?と私は思った。その数年も前に、カートリッジメーカーが「周波数特性競争」を展開し、確か「100kHzまで再生できる」というカートリッジもあったはずだ。「何を今さら」という印象だった。

 それはともかく、「レコードには20kHz以上の成分は全く入っていないので」というところに着目していただきたい。そもそもアナログ時代のマイクロフォンの周波数特性は、10kHz以上がダラ下がりで、20kHzでさえほとんど応答していなかった。マスターテープも、全くフラットではない。16kHzぐらいから上の周波数はやはりダラ下がりで、20kHzの成分ともなると、あるかなきかの弱い信号のはずである。レコードに針を落としたときのゴーというトレース音の中に埋もれてしまうだろう。

 それにもかかわらず、LPには超高周波音が入っていたと信じている人がいる。信じるのは勝手だが、これはチャンスだと飛びついて、ありもしない「夢の音」を売りつけようとする商魂たくましい人もいる。慎重に対処した方がいいですよと言いたいわけだ。

 最近も、HMVのユーザーレビューに「SACDでなければ聴く気がしない」という人がいたが、妄想もいい加減にした方がいい。私もSACDなどをいくつか買ったが、業界全体でヨイショと持ち上げているような特別な音はしない。普通のCDで十分だ。カネのムダだった。

 もっとも、誰かがカネのムダをすれば、日本経済は多少潤うかも知れないので、悪い面ばかりではないのだが、それを言うなら「振り込め詐欺」も日本経済に貢献しているのかという話になってしまう(もちろんメーカーが詐欺を働いているなどと言うつもりはない。振り込め詐欺よりは有意義な消費だと思いたい)。

 最近話題の「高音質CD」も、「レコード芸術」誌などにはベタ賞め記事が載っているが、大多数の人には差が分からないだろう。私も数枚買ってみたところ、結論は「通常のCDと全く同じ」というものだった。「レコード芸術」誌は、こういう商品を宣伝する提灯持ちの役割があるので(レコード業界を支援する立場にあるため)、わずかな利点でも、実際以上に誇大に書くものなのだ。

 他にも、朝日新聞はヘンテコな記事を載せたことがあった。ある人物が、CDの音はめちゃくちゃだという投書を寄せ、朝日新聞はそれを投書欄の大きなスペースに載せたのである。その記事は、こういうものだった。

CDの音はすべて合成音でできているので、ピッチが狂っている。測定してみると音程の精度が悪く、和声構造は破壊されてしまっている。LPでは、そういうことがなかった。このようなもので音を聴いていると、やがて日本人の音感は破壊されてしまうだろう。CDは単にできが悪い商品と言うだけではない、一刻も早く抹殺すべき悪しき商品だ。

 筆者は「オーディオ協会」だか「音響学会」だかの理事という、大変偉い人である。

 私も読んだときは少しショックだったが、ふと日経から出ていた「音の科学」という本を所有していることを思い出した。これには付録のCDがあり、それを聴けば純正律音階と平均律音階の違いなど、微妙な音程の差が分かるようになっている。そんなにわずかな音程の差が分かるメディアなのに、ピッチが全部狂っているとか、和声構造が破壊されているなどということはあり得ない。

 何かの誤解だろうと思ったが、理由はしばらく不明だった。ところが、後で「レコード芸術」誌に追跡調査した記事が載っていて、納得できた。結論を言うと、この筆者は古楽演奏のCDを聴いて、現在の標準ピッチと違うことに腹を立てたらしいのである。どうやらピリオド楽器は一般にピッチが違うということをご存じなかったようだ。もちろんLP時代も、古楽器演奏は現在の標準ピッチより低いのが一般的だった。CDだから特に疑われたのだろう。それに、CDの発音原理がシンセサイザーと同じだと思い込んでおられたらしいフシがある。

 蛇足だが、昔はピッチが低かったというのは、現在の国際標準ピッチ(A=440Hz)に比較してのことである。たとえばヘンデルの遺品の中に当時の標準音叉があって、それはA=422.5Hzだったので、昔のピッチは半音近く低かったと分かるわけだ。ただしパイプオルガンは、バロック期までに建造されたものが今も使われているが、必ずしもピッチが低いわけではない。むしろ高めに調整されている例が多いそうだ。

 現在でも、ウィーン・フィルやベルリン・フィルは若干高めのピッチであり、英米ではほぼ国際標準通りである。そもそも国際標準ピッチというのは53年に決められたことで、一時期あまりにも高いピッチでの演奏が増えたので決められたという。それまではかなりまちまちなピッチで演奏されていたということだ。

 まあ、こうした誤解は新しいメディアにはつきものと言えばそれまでだが、一時は業界を震撼させたほどの投書内容であるから、事実を確かめてから載せるのが普通だろう。それを仰々しく載せたのは、やはり反CDキャンペーンの一環としての意図があったに違いない。

 そう言えば、パーカッションを主体に活動していたあるグループが、演奏の際、レコードの再生音を加えていたそうだ。その主催者によると、「LPには超高周波音が入っていた。CDになって、それもできなくなった」と言っていた。おいおい、それまで使っていたレコードもみんな捨ててしまったのか?なぜ「それもできなくなった」と言うんだ?訳が分からない(これも朝日新聞の記事である)。

 その後、私は地方新聞を取るようになったので、最近の朝日新聞の論調は知らない。とにかく、こうしたマスコミの誤った、または偏った報道のおかげで、「アナログは超高音が入っているから良かった、CDはそれをカットしているから音が悪い」という意見が広まったようだ。

 実のところ人間は、16kHzを超える音は聞こえていても音楽を聴く上で影響しないようである。ピアノの音で実験すると、もっと低いところでカットしても、生の音と録音物との区別はできないという。これは普通の人に音大生など音楽の素養のある人を取り混ぜた実験結果だそうだ。もっとも、ピアノは倍音成分が少ないので、ヴァイオリンだと少し違った結果になるのかも知れない。

 生演奏とレコード音の切り替え実験というのがある。どこからが再生音か、当ててみなさいと言うのだ。最近の例は、と言ってももうずいぶん古いが、日本ビクターが66年に行ったオーケストラの音とレコードの音の切り替え実験だった。4チャンネルステレオより前の話である。分かった人は一握りしかいなかったそうだ。それも「当ててやろう」と意気込んでいる人たちだから、音だけで当てたかどうかは分からない。初めのうちはオーケストラの生演奏だが、切り替えた後は、オーケストラは演奏する真似だけで、音を出さないというやり方だったらしい。その様子を見ていて分かった人もいるだろう。座席がスピーカーに近かった人なら、音場感が変化して分かったかも知れない。とにかく66年の時点で(もちろん20kHz以上の成分は出ていない。使われたスピーカーは周波数特性の上限が確か18kHzだったと記憶する)、ほとんどの人には生と再生音の区別は付かなかったようだ。

 最初に切り替え実験を行ったのは、エジソンである。蝋管蓄音機の貧弱な音だ。女性歌手が歌っている。照明が暗くなり、再び明るくなると、歌手の姿は消え、蓄音機が鳴っている。この実験は、人々に衝撃を与えたそうだ。もっとも、当時の人々は初めて聴いたので、高音が8kHz程度までしか入っていなかった当時の蓄音機でも、「音が鳴っているのだから人がいる」と感じただろうから、あまり参考にはならない。

 電気録音時代に入ると、10kHzぐらいまで録音できるようになった。ヴァイオリンなどはやはり倍音が足りないので、高弦が笛のように聞こえた。それでも後にデッカが12kHzまで帯域を伸ばした録音を発表すると、「音が刺激的だ」と嫌う人がいたらしい。LP時代に入ると、高音も低音も帯域が広くなった。かなりリアルになったはずだが、これも「ヴァイオリンのアタックが出ない」「音の腰が弱く艶がない」などの批判があったそうだ。

 AM放送は上限12kHz程度であり、FM放送は、上限が15kHzになった。かつてはこの音を「冷たい音」と言い、AMの方が柔らかい、温かみのある音だったと言う人は少なくなかった。

 古楽器は全般に倍音成分が多いが、それを「うるさい音」と言って嫌う人は少なくない。古典派以降は楽器の倍音を減らし、「まろやかな」音を追求する傾向があった。おそらく物音が少なく、夜の静かだった時代には、古楽器のように倍音の多い楽器が好まれ、ロマン派時代(産業革命時代とほぼ重なる)には、生活環境中に物音が増えて、古楽器はうるさく聞こえるようになったのだろう。現代は物音が満ちあふれている。だからチェンバロのように「ジャラン」と鳴る音は、本能的に嫌悪感を引き起こすのだと思う。

 つまり、私は多くの人の意見とは違い、CDが嫌われるとすれば、それは高周波成分が欠けているからではなく、反対に多すぎることへの拒絶ではないかと思っているのだ。普通のLPでは、高周波成分はダラダラと下がり、18kHzぐらいまでが聞こえる限界だろう。ところがCDは、20kHzまでは全くフラットである。楽器の音がどこまでの倍音成分を含んでいるか、マイクロフォンの応答特性はどうかなどの問題はあるが、高音成分が出過ぎて刺激的に聞こえているという可能性はある。

 もちろん、CDにも問題点がなくはない。百葉箱の実験で、10分で1サイクルを描いているなら、5分ごとにサンプリングすれば良いという「サンプリング定理」のことをお話ししたが、5分ごとであれば、25℃と18℃のちょうど真ん中のところ(21.5℃)ばかり観察してしまう可能性もある。すると、実際の温度は激しく変動しているのに、観察結果は21.5℃一定だということになる。タイミングがこれより少しだけずれていたら、少しだけ変動が見える。理想は最高温度と最低温度が交互に観測されることだが、必ずしもそううまいタイミングでサンプリングされるとは限らない。つまり、サンプリング周波数の位相と原信号の位相がうまく合わなければ、捉える信号は、中間値を挟んで不規則に大きくなったり小さくなったりしている可能性がある。私が「サンプリング位相歪み」と呼んでいる信号の変調である。耳のいい人なら、それを聴き取って不快に思っているかも知れない。

 楽器はどの程度の高さまで倍音を出すのだろう。ヴァイオリンのE弦の5度上(シの音)はほぼ1kHzであり、上限20kHzというと、第19倍音まで出ることになる。しかし、そんなに高い倍音成分は量的にわずかで、音色にはほとんど影響しないようだ。

 佐々木ヴァイオリンというところのホームページを見ると、E弦を開放で弾いたときの音が最も倍音を多く含み、50kHzまでは出るそうだ。測定グラフを見る限り、もっと高い成分もありそうである。マイクロフォンの性能も最近はずいぶん良くなったらしく、50kHzまでフラットに応答する製品があるらしい。ただし、可聴周波数以上の帯域をカットしたときの音については、明快な結論は導かれていない。

 佐々木ヴァイオリンのホームページはこちら(音響研究の部屋)

 昔もマイクロフォンの高域を伸ばすという試みはあって、そうすると低域が腰抜けになる。低域をしっかり拾うと、高域は伸びない、というジレンマが指摘されていた。今のマイクロフォンの性能はともかく、音質も満足できるものなのだろうか。

 楽音として用いられる最高周波数は、8.4kHz程度(ピアノの最高音)である。それなら、CDには第1倍音(基音の2倍)までしか入らない。ただ楽器音は、いわゆる「エンベロープ」によっても特徴付けられる。エンベロープというのは、音が出てから減衰して行く音圧のパターンである。たとえばピアノはアタック音が強く、長時間かけて次第に減衰していく。ビブラフォンであれば、アタックはピアノより弱く、減衰音は長く持続する。倍音が全く存在しなくても、エンベロープが似ているだけでも楽器らしく聞こえてしまう。ピアノは倍音が少ない楽器であり、第1倍音が出ていたら十分それらしく聞こえる。

 そもそもそれ以上の倍音が出ていても、どのみち普通の人には聞こえていないだろう。もちろん世の中には非常に高い周波数まで聞こえる人がある。広瀬正の小説『ツィス』は、ある日どこからかツィスの音(嬰ハ音)が聞こえてくる。それを最初に聞いた女性は、常人よりはるかに高い周波数の音を聴くことができる。実は、その「ツィス」が聞こえない人の方が多い。だがある科学者が、「ツィスは確かに鳴っている。しかも日に日に強まっている」と言い、ついには「これが最大に強まったときには人々は全員発狂するだろう」と言う。そこで人々は万が一にも「ツィス」を聴かないために耳栓を買い求め、社会はパニック状態に陥る。

 聞こえない音というのは、実は単に弱いだけだという説もある。私は、普通の状態では14kHz以上は全く聞こえない。ところが、ある時その実験をしていて、音を出しているスピーカーの側で聴くと、本当は16kHz以上まで聞こえる。普通の聴取位置なら、鼓膜の振動が弱いので分からないだけだったのだ。だから上記の『ツィス』なども、ある程度の音量まで増大したら、全員の耳に聞こえるかも知れない。

 子供の頃は、誰でも聴覚が鋭敏なので、大人になってからは信じられないような高音を聞いている。私が子供の頃、近所の商店街が正月になるともち花を飾る。春先かクリスマスには、アルミで作った飾りを付ける。このアルミの飾りはアルミのフィルムを細いテープ状に切り、花束のように結び合わせて作るのだが、その制作に子供が駆り出され、私も加わったことがある。そのとき、アルミ箔のガシャガシャと折れ曲がる音、テープ状に切るときのチリチリした音、それらを束ねるときの、軽いけれども何とも不快な音に、すっかり気分が悪くなって、途中で帰ったのを憶えている。その音ももちろん憶えているのだが、よく考えると、今ではその音は聞こえない。

 年を重ねるにつれ、人間の聴音機構は硬くなるためか、高い音が聞こえにくくなる。機械的な伝送性能が悪くなるのだ。メカニカル・フィルターのようなもので、音がやってきても、分厚くなった鼓膜が振動しない。または鼓膜は振動していても、その後の伝音機構が硬くて働かず、振動が途中で吸収されてしまって、最終的に聴覚神経には信号として伝わらない。同じ音圧であれば、周波数が高いほど振幅が小さいので、高音が聞こえにくくなるのだ。

 確かに、超高周波音まで録音されていれば、再生波形の物理的忠実度は高いはずだ。ヴァイオリンの波形はのこぎり波に似ている。一つの波を見ると、急峻に立ち上がり、時間に比例して下がるという波形であって、非常に高い周波数成分を含む。高音成分を減らして行くと、全体が次第に丸まって、形はだんだん正弦波に似てくる。SP時代にヴァイオリンが笛のように聞こえたのはそのためだ。「だから超音波成分を減らすと不自然になる」というわけだが、耳に入った後、伝音機構の損失で高音成分が減るのと、結果は全く同じである。

 超音波というのは、人間の聴覚機構が応答可能な範囲を超えた振動で、「聞こえない」音のことである。聞こえるなら、それは超音波ではなく単なる音波である。「聞こえなくても感じている」と思うのは妄想だ。聞こえないというのは感じられないということであって、聴神経に到達しないのだから、聴感に影響する可能性もありそうにない。ちなみに、人間の感覚で最も鋭敏に振動を感じるのは、聴覚である。皮膚感覚などで超音波を感じる可能性は全くない。聞き取れる最小の音が鼓膜を震わせるとき、その振幅はオングストローム(1万分の1ミクロン)のオーダー(原子の直径程度)だそうだ。

 もし指先がオングストロームオーダーの凹凸を感じることができるなら、つるりとした金属の表面もデコボコに感じるはずだ。AFM(原子間力顕微鏡)をご存じだろう。レコードプレーヤのようなもので、微少な針先が原子の並びに沿って上下するのを拡大して見る仕組みだと考えればよい。指先の神経は高密度のため、以外に細かいものを判別することができる。しかし1ミクロン(千分の1ミリ)以下のデコボコはまず分からない。直径5ミクロンの球状のシリカゲルと、破砕状(バリバリと砕いた形)のシリカゲルを指で触ると、一箇一箇を数えるまでには至らないのだが、机の上などで触ると球状の粉は何だかつるつる滑る感じがあり、破砕状の方はざらざらした感じがする。そのあたりが限界だと思う。

 もちろん鼓膜の奥にはてこの原理で振幅を増幅する仕組みや、共鳴管の原理で増幅する仕組みがあり、神経密度だけの問題ではないが、神様が技術者だとすると、驚嘆すべき技術だ。なお聴神経自体は、老齢化で伝音機構が十分働かなくなった後も、非常に高い周波数まで応答するそうである。

 私は時々想像するのだが、人間の眼球が本当に水晶のような近紫外線を通す材料でできており、紫外線が見えるなら、われわれの世界はどれほど違って見えるだろう。それとも昆虫と違って、人間の視細胞は紫外線に応答しないのだろうか。紫外線領域まで見える人物がいて、常人には見分けの付かないようなものまで見分けることができたら、それは「超能力」と呼んでも差し支えない。

 超音波が聞こえるという人は、自分を紫外線が見える人のような「超能力者」だと思っているのかも知れない。少なくとも、普通の人より広い波長範囲の光が見えると想像してみるのも楽しいではないか?

 SFはさておき、耳はせいぜい大切にすることである。

 なお、もう少し詳しく知りたい方は、高槻市にお住ま いの志賀さんの『志賀@高槻』というサイトにある「オーディオの科学」というページをごらんください。記事も多く、詳細です。

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