ここで取り上げた主な作品
ホルスト/組曲「惑星」
R=コルサコフ「シェエラザード」
R・シュトラウス「ツァラトゥストラ」
R・シュトラウス「アルプス交響曲」
サン=サーンス「交響曲第3番」
幻想交響曲
レスピーギ『ローマの松」
レスピーギ「メタモルフォーゼ」

























メータ=ロス・フィル/『惑星』icon



カラヤン=ベルリン・フィル/『惑星』icon


ラトル/『惑星』icon






































































コンドラシン/『シェエラザード』icon




チェリビダッケ/『シェエラザード』icon





フォスター/『シェエラザード』icon











スヴェトラーノフ/『シェエラザード』icon




















































メータ=ロス・フィル/『ツァラトゥストラ』icon



カラヤン/ツァラトゥストラ(83年録音)icon




ドラティ/ツァラトゥストラicon




ケンペ/R・シュトラウス管弦楽作品全集icon


ショルティ/R・シュトラウス管弦楽曲集icon


ジンマン/R・シュトラウス管弦楽曲集icon



マゼール/ツァラトゥストラicon




















メータ=ロス・フィル/アルプス交響曲icon







ケンペ/R・シュトラウス管弦楽作品全集icon


ショルティ/R・シュトラウス管弦楽曲集icon


ジンマン/R・シュトラウス管弦楽曲集icon









































ミュンシュ/サン=サーンス交響曲第3番icon


メータ=ロス・フィル/サン=サーンス交響曲第3番icon



デュトワ/サン=サーンス交響曲第3番icon






マルティノン/サン=サーンス、フランク交響曲icon

















ミュンシュ=パリ管/幻想交響曲icon














カラヤン/幻想交響曲他icon




バーンスタイン/幻想交響曲icon



アバド/幻想交響曲icon





















カラヤン/レスピーギ「ローマの松、ローマの泉」他icon


デュトワ/レスピーギ「ローマ三部作」icon

ムーティ/レスピーギ「ローマ三部作」他icon

















サイモン/レスピーギ「シバの女王ベルキス、メタモルフォーゼ」icon

その他の有名曲


有名曲・人気曲

 ここでは、作曲家として好きだと言うほどではないけれども、有名曲だし、私個人も気に入っている曲を取り上げる。作曲家として好きだというのは、その人の作品なら何でも聞いてみたいと思うような作曲家のことを言う。それほどでもないが良い曲だという印象のあるもの、耳になじんでいて、世評も高いらしいという曲もある。
 もちろん、好きな作曲家の作品の中にも超有名曲、お気に入りの作品はあるわけで、選択は難しくなるが、いずれそうした作曲家についての記事は増やして行くつもりである。

 まずはにぎやかなところでホルストの『惑星』、R=コルサコフの『シェエラザード』、R.シュトラウスの『ツァラトゥストラ』、レスピーギの『ローマの松』、サン=サーンスの『交響曲第三番』などを取り上げよう。

 彼らはかなり好きな作曲家でもあり、これらの有名曲以外にもすばらしいと思う作品があるので、等閑視するつもりはない。


ホルスト/組曲『惑星』
 クラシックを知らない人でも『木星』のメロディなら知っているというくらいの超有名曲で、第一曲の『火星』も、ハリウッドのSF映画の音楽に影響を与えたと思われる。

『木星』は近年歌詞を付けて歌われるようになり、「ジュピター」という題名の「歌」として聞いたことがある人も少なくないだろう。

 ホルスト(1879−1934)はイギリスの作曲家で、『惑星』以外では、ブラス・バンドの曲がしばしば演奏される。
演奏
録音年
メータ/ロス・フィル
71
カラヤン/ベルリン・フィル
81
ラトル/ベルリン・フィル
06
 私が持っているのは上記のCDだけである。メータ盤で初めてこの曲を聴いたので、今も愛着がある。録音は、80年頃、世界中のレコード会社が一斉に録音系をディジタル化したので、録音年でアナログかディジタルかはほぼ推測できる。メータ盤はアナログだが、現在でも良い音で聞ける。メータのロス・フィル時代の録音は輝きがあった。

 カラヤン/ベルリン・フィルの録音は、『火星』のド迫力がすごい。非常な力演である。これに関してはベスト・ワンと言えそうだ。

ラトルの盤は、マシューズの『冥王星』が付加された録音である。ベルリン・フィルの技術の高さもあって、なかなかいい演奏だが、取り立ててすごいという印象はなかった。

 しかし、よく考えると、演奏家は毎回「歴史的名演」だの「驚異的演奏」をする必要はない。コンサートに来てくれた聴衆に、


R=コルサコフ/交響組曲『シェエラザード』
 R=コルサコフ(1844−1908)はもちろんロシア五人組(英語だとマイティ・ファイブともいい、「力強い仲間」などと訳されることもある)の一人で、初めは一介のアマチュアに過ぎなかったが、数奇な運命とでも言おうか、不思議な経過をたどって、ついにはロシア音楽を代表する堂々たる大家になった。

 五人組は評論家だったスターソフの指導の下に「反西欧主義」の理念を掲げ、チャイコフスキーやルービンシテインなどの西欧的音楽を軽蔑する言辞が多かった。だが、熟達の作曲家であるチャイコフスキーと、基本的な作曲技法さえ知らない彼らとでは、まるで勝負にならなかった。

 しかしロシア政府としては、「あたらしい国民音楽を創ろう」という彼らの主張は次第に無視できなくなった。折からR=コルサコフは交響曲第一番を作曲し、内容は極めて貧弱なものだったが、五人組の仲間からは驚嘆の眼差しで見られていた。

 そこで、彼らと一度話し合おうと、チャイコフスキーが彼らを訪問した。そのとき、ムソルグスキーは普段彼らが仲間内で話し合っていたような言い方でチャイコフスキーをあざ笑い、彼を不快にさせた。だが他のメンバーは偉大な先輩として、敬意を持って遇したようである。

 チャイコフスキーは、次のようにレポートした。「五人のうち、最も才能のあるのはムソルグスキーでしょう。しかし彼は私を不快にさせました。次に才能があるのはR=コルサコフです。彼は私と同じような才能があり、人間的にも好ましくて大成する素質があります」

 チャイコフスキーは、いくつか評論文を遺しているが、音楽家としての判断力はずば抜けたものがあったと思う。ここでも彼の批評は的確だった。やがてまだほとんど素人だったR=コルサコフが、ペテルブルグ音楽院の作曲・管弦楽法の教授に任命される。人物選考に当たって、チャコフスキーのレポートは大きな力を発揮しただろう。彼の訪問の際、ボロディンはたまたま不在であった。もし彼がチャイコフスキーと対面していたら、レポート内容は多少違ったものになったかも知れない。

 その後の彼の努力は敬服に値する。何しろ、自分は何も知らないのに、音楽院教授として作曲法や管弦楽法を教えるというのは、悪夢のような出来事だ。彼は猛烈に勉強した。授業がないときは、いろいろな楽器を触って音を出し、「どの楽器はどういう音がする」ということを必死で憶え込んだ。彼は決して投げ出さない人間だったのだ。私は思うのだが、誰であれ、彼ほどの努力があれば、どんな世界でもすばらしい成果を挙げ得たであろう。

 革命前後にはロシア第一の大家になっていて、政府からの圧力と戦ったという勇ましい話もある。次の世代のロシア音楽で、彼の影響を受けなかった作曲家は一人もない。

 彼は五人組の一人だった先輩格ムソルグスキーの才能を後々まで敬愛し、埋もれたままにするのを惜しんだ。そのため編曲を施して(時には一部補作して)紹介し、不滅のものにした業績も小さくない。もっとも現在では彼の編曲はあまり重視されず、ショスタコーヴィチなどによる編曲が採用されていることが多い。

 これに関して、「ムソルグスキーとは誰だったのか」という文を書いた人がいる。その人によると、ムソルグスキーの作品の多くが他人の編曲で親しまれているので、本当はそんなヤツはいなかったのではないか、というのである。だが『ボリス・ゴドゥノフ』の大地から屹立する旋律線、オスティナート風の切迫するリズム、歌曲における斬新な和声と清冽きわまりない抒情。そこには他の誰とも違う鬼才の刻印がある。R=コルサコフの作品でムソルグスキーに一番似ているのは、晩年の『金鶏』だ。彼の作品はどちらかと言えば西欧的な、優しく抒情的なメロディに特徴がある。ロシア風の、旋法的なメロディラインを基礎にすえたムソルグスキーとは、大きく異なっている。

 それはさておき、シェエラザードは、シェヘラザードとも言う。『アラビアン・ナイト』のヒロインで、繰り返し妻を娶っては翌朝には殺してしまうという残虐な王に嫁ぎ、毎夜毎夜不思議な物語を語って聞かせ、ついにその悪行を止めさせる。

 随所に現れるヴァイオリン・ソロがそのシェエラザードで、たおやかで美しい姿が表現される。
演奏
録音年
コンドラシン/コンセルトヘボウ
79
チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル
84
フォスター/モンテ・カルロ
83
ハイティンク/ロンドン響
79
スヴェトラーノフ/ソヴィエト響
69
 コンドラシン盤は彼の亡命直後に録音された不滅の名演である。いかにも心躍る幻想的な表現で、熱烈な憧れが込められた演奏だ。曲の最後には星々の輝く無限の夜空に消えていく感じがある。併録のボロディン『交響曲第二番ロ短調』も重要だろう。天才的なインスピレーションを持つ指揮者だったが、亡命後ほどなくして世を去ったのは、返す返すも残念である。

 チェリビダッケ盤(EMI録音)は非常にゆったりしたテンポで、抒情性をうんと重んじた表現だ。この指揮者のCDは、ずいぶん聴いたが、いまだに「最高」とは思えないでいる。何だか考え抜かれた演奏で、実際に演奏しているときのひらめきや、感興に任せて熱く盛り上がる、といった気分が不足するように思ってしまう。だがじっくりと練り上げた職人のワザ、秘伝のタレといった味わいがあり、それが好きな人には比類ない魅力であろう。

 フォスター/モンテ・カルロは、「エラート・クラシック100」に入っていたCDだが、予期せぬ好演だった。録音のせいか、全体に明るく聞こえてしまうのが難点ではある。この曲は夜ごとに繰り返される物語なので、コンドラシンのような、いかにも夜の雰囲気が欲しいところであった。演奏内容は決して悪くなく、かなりの秀演だと思う。

 ハイティンク/ロンドン響は、「コンドラシン盤」という予告だったので、予約して購入したら、ハイティンクだったというCDである。がっかりしたが、ある日「まあ一応聴いておこうか」とかけてみたら、「まさか」と思うほどの力演だった。この当時のハイティンクが、これほど身振りの大きい演奏をしているとは、夢にも思わなかった。よく考えると、名演だった『ショスタコーヴィチ全集』と同時期なのだ。音はやはり白昼の気分だし、ロン響らしく無彩色であるが、気合いは入っており、駄演ではない。

 スヴェトラーノフ盤は、私の所有しているCDはBMGの輸入盤で、R=コルサコフ交響曲全集(二枚組)のものである。少し硬質な音で、どちらかと言えば「男性的」な表現に聞こえる。実はもっと音のいい復刻盤があるそうだ。


リヒャルト・シュトラウス/交響詩『ツァラトゥストラかく語りき』
 R・シュトラウス(1854−1949)はバリバリの「ナチ野郎」であり、ナチスの音楽院総裁になったという人物だ。その当時は鼻高々でふんぞり返っていた。だが面白いことに、ナチスが「ユダヤ音楽追放」を謳ってメンデルスゾーンの音楽を演奏禁止にした後も、R・シュトラウスは「美しいものは美しい」と公言し、平気でメンデルスゾーンの作品を演奏し続けたので、ナチス政府は困ってしまったという。

 この交響詩はハデハデの「旭日昇天」から始まり、ニーチェの著書から採った標題が各部に付けられている標題音楽である。一応紹介しておくと、
1.自然について
2.背後世界論者について
3.大いなる憧れについて
・・・等々である。問題になるのは第二部の「背後世界論者」だろう。

 もしあなたがこの曲のCDを持っているなら、そこには「後の世の人々について」などと書いてあると思う。「ノチの世」と言えば、後代のことである。だから解説者によっては「後世の人々について」と書いている人もある。ニーチェの著作を読んでいない証拠だろう。本来この部分はそうではなかった。「後の世」は、「ウシロの世」と読むべきなのである。

 この世の背後には、隠された神の意図の世界がある。それは最近のマンガでよく見るような、この世の背後で戦われる、超世界の闘いに似ている。目の前にある事物の背後に常につきまとう、怪しげな影の世界だ。それこそ「実在」の世界であり、われわれはそこに神の意図を読み取り、それに従って生きるべきだ、というのが「背後世界論者」である。

 ニーチェは、かつては自分もそうだった、と告白する。神の意図は隠されており、それを真に感得するものだけが神の世界に生きることができる。だが、ツァラトゥストラは「人間が直覚的に知ることのできる世界がすべてである。隠された意図があり、しかも容易に知ることができないならば、元来、人間が知ることは、神の意図のうちにはないのだ。人間にとっては、ひたすら目に見える、ぎらぎらと白昼に照り輝く世界を生ききることこそ正しい」と主張する。

 だからR・シュトラウスの『ツァラトゥストラ』は、弦楽器の静かなアンサンブルで始まる。背後世界論者たちが、瞑想にふけって、ひたすら「サトリ」あるいは「お告げ」、「チャネリング」でもいいが、とにかく何か特別の時を待っているのだ。「後世の人々」などと説明されたところで、この音楽とは結びつかない。

 この曲をR・シュトラウスとしては最高の作品ではないと言う人は少なくないが、バルトークにショックを与えたという色彩の鮮やかさ、「永遠の青年」的な雰囲気は、やはり傑作の名に恥じないものがある。
演奏
録音年
カラヤン/ベルリン・フィル
83
メータ/ロス・フィル
68
ドラティ/デトロイト
82
ケンペ/ドレスデン
73
ショルティ/シカゴ響
75
ジンマン/チューリヒ・トーンハレ
01
マゼール/ウィーン・フィル
83
 これはやはりメータ/ロス・フィルが一番だ。全曲に漂う飛翔感がすばらしい。バシュラールは『空と夢』で、ニーチェの想像力を「大気」的とした(バシュラールの詩論は、想像力を地水火風の4つの物象に分類する)。その空気感は、この録音が一番よく出ているように思う。濃紺の背景にぽっこりと浮かび上がる楽器の音色も艶と色彩感があり、今も十分楽しめる。

 カラヤンは、輝かしさもあるのだが、むしろドイツ伝統の欝然たる響きを作りだそうとしているようだ。標題に関係なく、全体を純粋に音楽作品として捉えようとしたのだろう。オケの威力は大したものである。なお、ここで紹介しているのは83年のディジタル録音盤である。70年代のアナログ録音の方が良かったという人もあるらしいが、私が実際に聴いたのは、こちらの音源だけである。

 ドラティ盤は、超一流とは言えないデトロイト交響楽団から、最上の音響を引き出しているのが驚異である。明るく透明で、この曲が好きな人なら一目惚れするほど美麗な演奏である。私はそれまで、ドラティと言えばバリバリ演奏の代表のように思っていたので、このCDで聴いた抒情的な場面の美しさは意外だった。

 ケンペ盤はEMIの『R・シュトラウス管弦楽全集』中の一枚である。ほの暗い音彩で描き出された、少し素朴な感じもある演奏だ。ケンペでは、どちらかと言えば『死と変容』や『家庭交響曲』の演奏が好きだが、これはこれで熟達の表現であり、すばらしい。

 ショルティ/シカゴ響。何の不足もない演奏で、録音も優秀である。ただ特別な要素がないところが問題だろう。他の演奏と比べれば平均的に聞こえ、あまり「これでなければ」という感じがしないのである。楽曲の十全な表現という意味では十分に満たされている。

 ジンマン。日本ではさほど有名ではないようだが、私は昔から知っていた指揮者である。息長く活躍している名匠だ。この録音はアルテ・ノーヴァの管弦楽曲集に含まれているものである。なかなか聴き応えがあり、「背後世界論者」の弦楽器も美しい。音が非常にみずみずしく色彩感に満ちているので、特別意外な発見はないにもかかわらず、新鮮な気持ちで曲に向かうことができる。

 マゼール盤は、出だしの抑えた感じに、納得できない人が多いだろう。よく聞くと思わぬ細部の表現に驚かされる。音もいいが 、もう少しヴァイオリンパートに表情があればという気もする。


リヒャルト・シュトラウス/『アルプス交響曲』
 山がテーマの曲として、これ以上有名なものはないかも知れない。ダンディの『フランス山人の歌による交響曲』も山の曲ではある。他に思いつくのは、グリークの切ない歌曲集『山の娘』や山ではないが高原の空気を感じさせる『オーヴェルニュの歌』などである。

 この曲は紛れもない描写音楽なので、比較的軽く見られる傾向があるが、中身は薄くない。アルプス登山に託した『英雄の生涯』とも言えそうな「苦悩と闘争」が描かれ、大変な充実感がある。
演奏
録音年
メータ/ロス・フィル
75
ケンペ/ドレスデン
73
ショルティ/シカゴ響
79
ジンマン/チューリヒ・トーンハレ
02
メータ/ベルリン・フィル
89
 メータ/ロス・フィルはすばらしい。「日の出」で急に目の前がスカッと広がる気分は、これが一番である。音質もまだまだ美しく、艶というか、色気のようなものがある。この時代のメータは、何か悲劇的な濃紺の背景の前に、絢爛豪華な音の絵巻を繰り広げるような感じがあった。

 それに比べると、後年のベルリン・フィル盤は、オケの威力は感じるが、やや孤独感が増している。音は新しいだけあって美麗だが、ロス・フィル盤にあった高揚感が欠けているように思う。

 ケンペ盤は、この指揮者としては珍しいほど盛り上がり、熱気溢れる演奏である。これを聴けば、単なる軽い描写音楽でないことは誰にでも分かる。強力なオケの音色も相俟って、抜群の演奏になっている。

 ショルティ盤はメータ/ロス・フィル盤によく似た演奏で、オケがうまい分だけ、より完成度が高い。なぜか「これでなければ」という印象はないのだが、すべての部分が余すところなく聞こえてくる。

 ジンマンは、やはりスカッと抜けた新鮮な感じがする。このCDはR・シュトラウス作品集の一枚であり、廉価盤なのだが選曲も良いし、覇気が感じられる。おすすめのセットだ。


サン=サーンス/『交響曲第三番ハ短調』
 サン=サーンス(1835−1921)は神童だったが、その詳細は知られていない。とにかく、まだやっとよちよち歩きなのに作曲していたという。少年の頃から語学や科学にも秀でていたというから、神童だったことには疑いがない。とにかくフランス音楽の歴史の中では保守派であり、ドビュッシーたちの新しい音楽には組しなかった(彼の弟子で最も有名なのはフォーレである)。

 作品はあらゆる分野にわたっており、当時としては多作だったが、駄作が少ない(数少ない駄作の一つが『動物の謝肉祭』だが、皮肉にも最も有名な作品となっている)。ピアノの名手だったにもかかわらず、ピアノ独奏のための作品が少ない。また十数曲のオペラ作品のうち、『サムソンとデリラ』以外はあまり上演されない。彼の音楽はもう時代遅れだったからだろう。にもかかわらず、消え去る様子もない。これは彼の音楽がニセモノではなかったことを意味している。

 その彼の、どちらかと言えば地味な交響曲が人気曲であるのは、私には分からない。第四楽章のオルガンが壮大に聞こえるのが魅力なのだろうが、ベートーヴェン流の「苦悩と闘争」の果てに行き着くわけではないので、私はそれほど感心しない。

 そう言えば、昔の話だが、大阪梅田にあったテクニクスのショールームに入ってみたら、フランチェスカッティ奏するところのサン=サーンス『ヴァイオリン協奏曲第三番』のレコードがかかっていて、かなりの人が一緒に聴いていた。それが終わると、次はショーソンの『詩曲』となった。私が特に好きな曲でもある。ところが、その時になると、大勢いた人たちが帰り始める。最後まで聴いていたのはほんの数人になっていた。「いやいや、ショーソンって、いいでしょ?」と言いたかったが、サン=サーンスの方が大衆受けするメロディであることは否定しない。

 言ってみれば、江戸川乱歩の面白おかしい推理ドラマが終わった後に、太宰治の七面倒な心理的私小説の朗読を聴かされたようなものなのだ。サン=サーンスには、そうした面白さがあったのだ。たとえば、序奏と言えばちょっと和音を奏でるだけで、単刀直入に主題提示に入る。ところがショーソンの交響曲変ロ長調は、序奏部が長く、しかも大部分が短調で書かれ、一つの楽章の観さえ呈している。絶えず深刻な憂愁が描かれ、主題が提示される頃には、聴衆は疲れてしまっている。サン=サーンスの音楽は、それほど深刻なところがなく、適当でさばさばしている。そこが彼の美質でもあろう。
演奏
録音年
ミュンシュ/ボストン
59
メータ/ロス・フィル
70
デュトワ/モントリオール
80
フルネ/東京都響
87
マルティノン/フランス国立放響
70
 ミュンシュ/ボストンは、かつての名盤である。ステレオ初期の録音で、最高音も最低音も出切らない。だが速めのテンポで熱気のある演奏だ。少しフラッター的な音の揺れが感じられ、そのためソロ楽器の音程が悪いように聞こえる瞬間がある。好みの分かれるところだろう。

 メータ/ロス・フィル盤は、やはりグラマラスな色気があり、名演の一つである。国内盤はスクリアビンの『法悦の詩』とのカップリングで出ていた。このスクリアビンは、最高の名演と言えるもので、いいカップリングである。なおスクリアビンは、LPではシェーンベルクの『浄夜』とのカップリングだった。『浄夜』も非常な名演の一つであった。

 デュトワは明るい音色で、鮮明に描いている。暗めの演奏が好きな人には、少し物足りない感じがあるだろうが、なかなか上品ないい演奏だと思う。オケのすべての音がはっきりと聞こえ、私には何の不満もない。

 フルネ/東京都響。ワンポイント・マイク的な録音で、サラウンドだと全部の音が引っ込んで聞こえる。2チャンネルのステレオで聴くと、かなり熱気ある演奏で、決して悪くない。欲を言えば、管楽器の音にもう少しのふくらみ感があれば良かったのだが。

 マルティノン。私の持っているのはオルガンをマリー=クレール・アランが担当したエラート録音である。様々な形で何度もCD化されたので、よほど名演奏だったのだろう。録音には不満が残り、やや混変調的な不透明さがある。演奏はマルティノンらしい鋭い切れ味もあって、なかないいものである。


ベルリオーズ/『幻想交響曲』
 この曲が好きな人も多かろう。ところが私は、実はベルリオーズがあまり好きではない。彼の作品では歌曲集『夏の夜』(特にその中の『ばらの精』)が一番好きだが、他の作品はよく分からないのである。シューマンはベルリオーズをドイツの音楽界に紹介し、この『幻想』を自らの指揮で演奏したが、後になって「どこがいいのだか、よく分からなかった」と言ったそうである。ロマン派には違いないが、ドイツ的な感性からはほど遠い作品ではないだろうか。
演奏
録音年
ミュンシュ/パリ管
67
カラヤン/ベルリン・フィル
74
バーンスタイン/フランス国立管
76
アバド/シカゴ響
83
ロンバール/ストラスブール
73
 ミュンシュは晩年、ボストン響の音楽監督を退き、新たに創設されたパリ管の音楽監督に就任した。そして『幻想交響曲』、ブラームスの第一番、ラヴェルの管弦楽曲など、圧倒的な録音を遺したが、残念なことに、わずか一年で世を去ってしまった。

 面白いことに、ミュンシュ以降の指揮者は、多かれ少なかれ、彼の遺したレコードの影響を受けているようだ。序奏の恋人のテーマは、かつてはいかにも清楚でリリカルなテーマとして演奏されていたのだが、ミュンシュはそこに噴き上がるような熱い感情を込めていた。初めて聴いたときは、衝撃を受けたものである。

 だから、ミュンシュ/パリ管以降の演奏は、ほとんどがミュンシュ的な爆発力を秘めて演奏される。

 ミュンシュ盤の不満は、録音である。かつてF.I.Cの廉価盤で出ていたものはそれほどでもないが、EMIの正規盤は、ヴァイオリンの音が上ずって聞こえる。

 カラヤン盤は、ミュンシュ以前の演奏様式の面影をとどめていて、序奏はあくまで序奏という感じである。だが後の部分はなかなかの力演になっていて、曲が進むにつれ、大爆撃のようにオケの威力があからさまになる。なおこのCDは2枚組の「パノラマシリーズ」で、併録のアンセルメ=クレスパンによる歌曲集「夏の夜」がおすすめである。

 バーンスタイン盤。彼が『幻想交響曲』を録音したのは、これだけだろう。もちろんミュンシュ的な解釈であり、バーンスタインらしく熱い音楽が繰り広げられる。この曲の代表盤の一つだ。

 アバド盤はディジタル録音のせいか、やや冷静な感じがあるが、やはりミュンシュ流の歌わせ方だ。間接音が多く録られているのだが、サラウンドで聴いてもおかしい感じはない。美麗な音で紡ぎ出された万全の演奏である。

 ロンバール盤は、「エラート・クラシック100」に含まれていたCDである。明らかにミュンシュ路線を踏襲した演奏だが、独自の表情もあり、単なる真似ではない。やはりエラート的な、明るめというか、パステルカラーの音質がベルリオーズの歪んだ妄想世界と不釣り合いな感じもある、なかなかの好演と思う。


レスピーギ/交響詩『ローマの松』
 レスピーギ(1879−1936)はどちらかと言えば、後期ロマン派の作曲家だ。しかし彼の活躍時期は、もうロマン派の時代ではなかった。

 交響詩『ローマの泉』、『ローマの松』、『ローマの祭』の3曲は『ローマ三部作』と言われる。どれも四楽章から成り、それぞれ気分が異なっている。『ローマの松』は第一曲から華々しく、終曲は壮麗である。
演奏
録音年
デュトワ/モントリオール
83
ムーティ/フィラデルフィア
84
 これは、二枚しか持っていない。世評の高いのはトスカニーニの録音で、かつてNHK−FMに「トスカニーニ・アワー」という番組があったとき、番組の開始を告げる音楽が、『ローマの松』の冒頭部分だった。モノラル時代としては良い音がするのだが、買って聴こうという気にはなれない。これ以外では小澤、カラヤンを聴いたことがあり、特にカラヤンはこの演奏で実力を再認識したものである。

 デュトワ盤は美しく精緻な演奏で、音色がすばらしい。透明感と色彩感があり、大満足の出来映えだった。

 ムーティはオケを極限までコントロールする指揮者であり、第三部の『ジャニコロの松』では、大きなアゴーギクを置いている。それが気に入るかどうかで、評価が決まってしまいそうである。私の印象は悪いものではなかった。オケはフィラデルフィアだから、悪いはずがない。強いて言えば録音がいかにもEMIらしく、やや色合いに欠ける音がする。なぜそんなことになるのかよく分からないが、私の音と色の共感覚では、どうしてもデュトワ盤の方がいい音に聞こえる(いずれもディジタル録音)。なお左に紹介したCDはマリナーによる「古代舞曲とアリア第3組曲」他を収録した2枚組の廉価盤である。


レスピーギ/『メタモルフォーゼ(変容)』
 ちょっとルール違反だが、レスピーギをお気に入りの作曲家として取り上げる予定はないので、有名曲とは言えないのだが、ここでご紹介する(むしろ『古代舞曲とアリア』の方が有名だ)。

 『変容』はかつてNHKのドキュメンタリ番組(現代史関係だったと記憶する)でテーマに使用されていた曲である。変容というとR・シュトラウスやヒンデミットの作品に使われている言葉だが、ここでは要するに変奏曲のことだ。『主題と12の変奏』というとよく分かる。かなり悲痛な感じの主題で、頭の部分が五音音階風の旋法的なメロディだ。そのため、何だか懐かしい感じを覚える。もっとも変奏に入ると、さほど魅力的ではない。
演奏
録音年
サイモン/フィルハーモニア
85
 この一枚しか持っていないので、他の録音との比較試聴はできない。演奏も音もいいと思う。併録は「シバの女王ベルキス」。「ベルキス」を名曲と言えるかどうかは不明だ。私の耳には、むしろ『ヴァイオリン・ソナタ ロ短調』の方がはるかに名作に聞こえる。なお「メタモルフォーゼ」という表記は、三省堂の「音楽作品名辞典」に「12旋法によるメタモルフォーゼ」とあるのに従った。


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