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マンロウ『ゴシック期の音楽』
『ヒリヤード・アンサンブルの芸術』
ジェズアルド『テネブレ』
ビクトリア『レクィエム』
皆川『洋楽渡来考』







































マンロウ『ゴシック期の音楽』(輸入盤)icon




























ヒリヤード・アンサンブルの芸術

















ジェズアルド『テネブレ』icon










カヴァリエーリ『エレミアの哀歌とレスポンソリウム』icon





























ビクトリア『レクィエム』:タリス・スコラーズicon


アレグリ『ミゼレーレ』他:タリス・スコラーズicon



































ビクトリア『聖週間の応唱集』icon









中世・ルネッサンスの音楽


中世・ルネッサンス音楽について

 初期キリスト教徒が狂信的な暴徒と化して、アレクサンドリアの大図書館を襲ったのは、400年代のことである。以後、ヨーロッパは貴重な古代の伝承を失い、無知と迷妄の闇に沈むこととなった。中世にはキリスト教が迷信化し、騎士伝説や聖遺物のエピソードなど、おかしな物語が生まれた。彼らは若干のアルキメデス文書しか知らず、その他の古代ギリシャの賢人たちは、まるで忘れられた古代の神々のように、イメージの中で肥大化させていたようだ。自分たちが「異教徒」として排斥したのだが、実は貴重な古代の知識がそこにあったのだと気付いたのである。

 そのイメージの中では、ギリシャの賢人は巨人であったということになった。大きさが分からないので、想像でふくらませたのだ。当時のヨーロッパ人は、昔の人ほど巨大であった、つまり体も大きく、知恵も優れていたと考えた。現在(つまり中世)には、人間はみんな矮小化した、将来はますます小さく、愚かになるだろうと思ったという。いわば『衰退史観』だったのである。

 ここは、フィリップ・アリエスの名著『<子供>の誕生』(杉山光信、杉山恵美子訳・みすず書房1980刊)を丸呑みにして書いている。中世の図像を見ると、子供が可愛くない。単に大人を小さくしたように描いてある。

 ところで、西暦1000年頃、狂信者たちの組織した十字軍が、イスラムに支配されていた聖地エルサレム回復のために遠征した。彼らの遠征は失敗だったが、帰国するとき、アラビアの文物を多数持ち帰った。驚いたことに、そこに失われたと思っていた古代ギリシャの知識が伝えられていた。1100年代になると、大学、公共図書館、大寺院が建設されて、これらの文献が研究されるようになり、一種の知の爆発が起こった。つまり新しい書物が書かれる時代になったのだ。これを「十二世紀ルネッサンス」とも呼ぶ。

 便宜上、1100年代から1450年までを中世、1450年(グーテンベルクの印刷術)から1600年までをルネッサンス、1600年(モンテヴェルディと楽譜出版)から1750年(バッハの死)までをバロックと区分することにする。分け方はいろいろある。たとえば「イタリア・トレチェント(13世紀という意味だが、1300年代のことで、14世紀である)」の音楽を一つの区分とする見方もあるだろう。この頃に、音楽史の一つの節目があったことは事実である。もちろんそれ以前にも音楽はあり、ライヒテントリットの名著『音楽の歴史と思想』(服部幸三訳・音楽之友社:1959)は、ギリシャ時代から説き起こしている。作品は小さな断片しか残されていないが、ギリシャ時代の音楽理論は想像以上に発達していたらしい。「暗黒の」中世にも作曲理論の本が書かれているというから、油断はならない。

 ノートルダム寺院の建設が始まった頃、音楽僧の中に、現在で言うポリフォニーの原型を作り出した人物がいた。これを西洋音楽の原点と考えるのである。この時代の作品は短いものが多いし、作曲者不詳のものもあるので、アルバム中心に紹介しよう。

『ゴシック期の音楽』/デイヴィッド・マンロウ=ロンドン古楽コンソート

 すばらしい内容のアルバムで、マンロウ(1942−1976)の最高の遺産の一つである。1160年頃から1250年までの「ノートルダム楽派」、1250年頃から1320年までの「アルス・アンティクヮ」、1320年頃から1400年までの「アルス・ノーヴァ」の3つのパートから成る。CD2枚組だが、LPで出たときは3枚組だったようだ。録音は非常に優秀である。

 残念ながらこのCDの国内盤は、現在では入手困難なようである。

 マンロウは古楽演奏では最高の天才だったが、この録音(75年)の翌年、音楽活動の絶頂期にあった33才で、突然謎の自殺を遂げてしまった(死因には別の説もある)。彼は同性愛者だったと言うが、エイズが出現した81年より前の死なので、そうした原因ではない。

 彼は「音楽がまだ若かった頃」の響きを追求していたので、自分自身も「永遠の若者」と思いたかったかも知れない。ある日もう自分が若くなく、犀利な直観力が失われつつあると思ったのではないだろうか。三島由紀夫も脂ぎった中年になることを嫌い、まだ微かながらも青春の熱狂が残るうちに死ぬことを選択した。マンロウの死も、それに似ているのではないか。惜しんでも余りある存在だった。

 ノートルダム楽派というのは、具体的にはレオニヌス(レオナン)とペロティヌス(ペロタン)の二人しか入っていない。こうした最初期の音楽は、グレゴリオ聖歌の定旋律に高声の装飾旋律をまとわせるものであり、初めのうちはまるでお経か、どこかの土俗の音楽を聴いているようだ。「アルス・ノーヴァ」(中世後期)に至ると、やや現在の音楽に近い響きも聞こえる。

『ザ・ヒリヤード・アンサンブルの芸術』/ヒリヤー

 新星堂・山野楽器とタワーレコードの共同企画で復刻された秀逸なアルバム。ダンスタブル(1390頃−1453)のモテトゥス、デュファイ(1397頃−1474)のミサ曲とモテトゥス、オケゲム(1410頃−1497)のレクィエムとミサ曲、ジョスカン・デ・プレ(1450頃−1521)のシャンソン他に、各1枚が当てられた4枚組である。私の区分で言うと、中世後期からルネッサンス初期に相当する。

 この時期になると、現在の音楽に近い和声なので、前述のマンロウのCDより、ずいぶん聞きやすい。今谷和徳氏による詳細な解説と、歌詞対訳も付いているので、「何を歌っているのか分からない」という寂しさがないのがうれしい。

 ヒリヤード・アンサンブルは男声4人のアンサンブルで、メンバーの技倆が高く、透明で純粋な響きである。声のバランスを取るには、聴衆の位置で聴く必要があると思うのだが、長年活動しているので、そんな基本的な段階はとっくに卒業している。取り上げるプログラムは無伴奏(ア・カペラ)のことが多いが、以前、来日公演のTV放送をビデオに録画しておいて見たところ、メンバーの一人(絶対音感の持ち主)が歌い出しの声を出してメンバーに知らせ、それから演奏にかかるという手順だった。

ジェズアルド『テネブレ−聖金曜日のレスポンソリウム』/パロット=タヴァナー・コンソート

 このCDをことさら取り上げるのは、ソニー・レコードが、意外にもクラシック分野でも特に採算性が悪いこのジャンルのCDを多く発売しているからである。売れ筋のレパートリーでさえ「文化事業」として、採算性は諦めているというクラシック部門なので、そのがんばりは立派だと思う。

 これ以外にもネーヴェル/ウエルガス・アンサンブルの録音(『中世・ルネッサンス音楽への招待状』など)、カヴァリエーリ(1550−1602)の『エレミアの哀歌とレスポンソリウム』(演奏はデル・カンプ=ジェズアルド・コンソート・アムステルダム)といった優れた内容のCDがある。ウエルガス・アンサンブルのCDは器楽も加わって音色が単調にならず、タイトル通り、入門用には好適だ。また近現代音楽分野でもダラピッコラの『囚われ人の歌』のようなCDを出しており、音楽ファンにとっては意外にも宝庫なのである。

 ジェズアルド(1560−1613)はルネッサンス最後期からバロック初期にかけて生きた人物である。1590年に不貞を働いた妻とその相手の男を殺害し、貴族だったので罰せられなかったが、殺害後死体を切り刻んで公衆の面前にさらすという残忍さが憎まれ、後半生は半ば幽閉状態であった。再婚したところ、またもやDVで妻が逃げ、使用人にも虐待を繰り返したというから、何か常に焦燥感を持ち、キレやすい性格だったのだろう。

 殺人を犯した作曲家は他にもいるが、ジェズアルドは半音階や極端な和声進行を用い、特別な響きを紡ぎ出したので有名だ。その特異な音楽を殺人者としての罪の意識の表れと見る向きもある。いずれにせよ生活に困窮することはなく、ディレッタンティズムに貫かれた音楽で、作品はまだルネッサンスの余韻を多く残し、余計に半音階的和声が突飛に聞こえる。

 ただし前述のウエルガス・アンサンブルのCDにも14世紀後半のソラージュという人物(?)の『くすぶった男が』という奇妙な曲が収められ、半音階進行や異様な和声は、突発的に生まれたものではなかったことが分かる。

ビクトリア『レクィエム』/タリス・スコラーズ

 ビクトリア(1548−1611)はスペイン生まれで、少年期にローマで学び、中年までイタリアで活動していたという。当時はフランドル楽派が全盛だった。前記のマンロウの残した録音の中に『ネーデルランド楽派の音楽』という一連のシリーズがあり、それも大変優れた内容だったが、その「ネーデルランド」というのは現在ではオランダを意味する。英語式に発音するとニザーランド(ザはthの発音)になる。「フランドル」というのは北フランスからベルギー、オランダの一部を含み、アントワープ(アントウェルペン)やブリュッセルが音楽など文化の中心になることが多かったので、皆川達夫氏によると「フランドル楽派」と呼ぶ方が適切だという。ただしかつてはネーデルランドの領域が広く、ベルギー、ルクセンブルグもそのうちに含まれていたので、間違いではない、最近は「フランドル楽派」と呼ぶ方が一般的になっただけである。

 ちなみに、そうした歴史的経緯から、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグという経済的・文化的に共通要素の多い三国をひっくるめて「ベネルクス三国」と呼ぶことがある。ベネルクスの「ネ」は、もちろんオランダのことだ。その域内ではオランダ語とフランス語が話されるが、ルクセンブルグではドイツ語(方言だが)が優勢だということである。なお現在ベルギー大使館に行くと、フランドル音楽に関連した資料を(多くはないが)見ることができる。

 ビクトリアの音楽は、やはり血のなせるわざか、いかにもスペインらしいほの暗い情熱が聴き取れるのが魅力である。タリス・スコラーズは私がルネッサンス音楽の最高峰と信じる団体で、女声を交えた美しく清澄な響きが快い。アレグリの『ミゼレーレ』などは、不滅の名盤だと思う。

 ルネッサンス期には、女性が教会内で歌を歌ってはならないとされていたので、カストラート(去勢歌手)が高声に使われたのだが、去勢するという行為が人道に反するため禁じられ、現代では男性が裏声で歌う、いわゆるカウンターテナーで歌うのが優勢である。しかし女声の突き抜けた高音の魅力は、カウンターテナーの及ばないところであろう。

 なおビクトリアの作品では、ほかに古楽の名門レーベルであるドイツ・ハルモニア・ムンディの廉価盤で、『聖週間の応唱集』(演奏はターナー/プロ・カンティオーネ・アンティクヮ)というCDが出ていて、こちらは男声ばかりの歌唱だが、やはり音楽は魅力的である。

『洋楽渡来考』(CD・DVD版)(皆川達夫監修:日本キリスト教団出版局)

 CD3枚、DVD1枚、解説書付きのセットである。長崎のかくれキリシタンたちが歌い継ぎ、長い間に日本化したラテン語聖歌「オラショ」の起源を皆川達夫氏が丹念に追跡研究された結果は、大部の著書『洋楽渡来考』として2004年に日本キリスト教団出版局から刊行されたが、その原曲を演奏したCDと、現地で今も歌われている映像が入っているDVDとから成っている。もちろん著作と共に見聞きするのが良いのだが、両者合わせると¥31,500(税込み)という高価な買い物なので、ここでは取りあえずCD・DVD版(¥12,600)を挙げておく。

 そもそも日本人が西洋音楽に触れた最初は、信長時代のことである。信長は、西洋文化の吸収に積極的だった。安土に「セミナリヨ」という西洋学術のための学問所が設けられ、そこでは音楽も教えられていた。「少年たちはなかなかきれいな声で歌い、中には作曲を始めたものもおります」と宣教師が報告しているということである。初級者向けのバロック・ギター曲として知られるナルバエスの「<牛を見張れ>による変奏曲」なども、当時入ってきたようだ。八橋検校の「六段」は、こうした音楽の変奏曲の手法で作曲されたという。西洋風に言えば、「六段」は「主題と五つの変奏」ということになる。

 だが秀吉はキリシタン弾圧を行ったので、こうした音楽教育も中断されることになった。また徳川家康は新奇な音楽を嫌い、西洋流の音楽を禁止したという。輸入文化から独自のものを生み出すまでには、100年ぐらいかかると言われているので、そのまま西洋音楽を吸収し続けていたら、バロック時代には、音楽史に日本人作曲家が名をとどめていたかも知れない。

 衝撃を受けるのは、やはりDVDで実際に現地の人が聖歌を歌うのを見るときだろう。普通の民家に正座した三人が向かい合い、本来は教会で行われるミサの手順らしき儀式を執り行う。これはかなり手早く行われる。その後岩場に集まった人々が日本語の説教を交えてラテン語の聖歌を歌う。聖歌の節回しは全く日本流になまっていて、仏式のお経のようにしか聞こえないが、数百年もの苦難を耐えてきたその信仰には、激しく強いものがあった。現在では正統キリスト教に戻っても良いのだが、ムソルグスキーの『ホヴァーンシチナ』のように、自分たちの独自の伝統を守っているのは、すばらしいと言うべきか、空恐ろしいと言うべきか。

 私はキリスト教徒でなく、仏教にも距離を置いていて、世に言う「無宗教」である。かといって、人は全く無宗教ということはあり得ない。多かれ少なかれ、その生きている時代の色に染められているものだ。私も自分の生きてきた時代を振り返ってみて、その思いを深くする。たとえば大戦の傷がまだ癒えない時代は、みんなが平和主義で、科学万能の考え方だった。高度成長時代には、拝金主義的とも言える経済万能主義社会になった。バルザックの『ウジェニー・グランデ』に登場するグランデ老人の言動(つまり経済的能力と道徳的価値を全く混同した人生観)は、戦前の人には「極端な守銭奴の考え方」と見えたものだが、高度成長期の日本人は、みんながグランデ老人のような考え方をした。

 そうした時代背景にも持続してきたものや失われたものがある。私はすべてのものは多値的であろうと思うので、失われたものがすべてすばらしかったとか、逆にすべて無価値だったと見なすのは危険だと考える。ただ、現代の日本人の多くが、思考の中心に「滅びざるもの」を持たない、その場限りの便宜的な生き方の選択で尽きているように見えるのは、やはり何だか情けなく思えるのである。

 当時の隠れキリシタンたちも、彼らの生きる環境に基づいて願いをキリスト教に託したのであり、必ずしもそのすべての思いが持続しているのではないが、口伝で伝えられ日本化したメロディと、なまったラテン語の文句の中に、やはり何か「滅びざるもの」が脈々と息づいている。

 画像はあまり解像度の高いカメラではないので、特に岩場では岩の表面が陰影感に欠け、のっぺりしている。しかし全体として安定感のある映像で、NHKスペシャルを見ているような感じだ。音は鮮明に取れている。

 中世・ルネッサンスということで、どうしても音楽史的興味に傾斜しがちになるのだが、それはご容赦願いたい。ルネッサンス時代には、ジョスカン・デ・プレ、イザーク、ダウランドなど、今でも魅力的な音楽として鑑賞できる曲を書いた作曲家がいる。


とっぷ  音楽談義  バロックの作曲家1
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