植物は音楽を聴くか


モーツァルトを聴けば頭が良くなる?!

 これも超常現象の一つかも知れないが、植物にイイ音楽を聴かせたらよく成長し、イケナイ音楽を聴かせたら育ちが悪かったという話がある。その「研究者」の言うところでは、「ロックミュージックを聴かせた植物は、音楽から逃れようとするかのように反対側に傾き、何だかいじけたような育ち方だった。バッハを聴かせた植物は豊かに育ち、音楽に聴き入ろうとするかのように音のする方向に傾いた」という(ちなみに、最も効果があったのはバッハのオルガン曲だったそうだ)。

 全く、何を言っておるか。これはもう科学でなく、幼児向けの絵本の世界だ。花を顔に描き、葉っぱを手のように描いて擬人化するのと同じではないか。仮に植物に聴覚があるとしても、その主な聴神経が上(頭)にあるかどうかは分からないのである。葉っぱの裏側にあるのかも知れない。それなら、音が出ている方向とは反対側に傾いた方が、音がよく聞こえるではないか?考え方次第で逆にも解釈できるのだ。

 もちろん科学の世界で、まともに相手にする人はいない説であるが、他にも植物の葉っぱに電極を取り付けて、「人間と会話できる」などと主張していた人がいた。NHKテレビだったと思うが、その説を子供に聞かせているのには参った。

 やっていることと言えば、葉っぱに電極を取り付けて電圧をかける。そして流れる微弱電流を増幅して、音として出す。すると葉脈内の植物体液の流れらしい雑音が聞こえるのだが、人が側を通りかかると、その音が変化する。それを子供に「植物が挨拶している」と説明するのだ。また葉っぱを撫でてやれば他の音がするのを「植物が喜んでいる」などと言う。

 これをテレビで実際にやって見せたのだが、私は全く信じない。こんなことを子供に聞かせるのは、罪悪としか言いようがない。おそらく、同じような実験を葉っぱでなくガラスの板でやっても、似たような結果が出るはずだからだ(電圧はもっと上げる必要があるかも知れないが)。人間が近づくと、微弱な電界変動が生じ、こうした回路はそれに応答することがあるのである。もちろん表面に手で触れたりしたら、大きな応答があるのは当然だ。

 というのは、以前pH電極が同じように応答したのを経験したからである。pH電極というのは、水に浸けておかなければいけないが、作業中、空気中にさらしたままで置いたことがある。すると、人が近づくたびに針が大きく振れる。これをpH電極が挨拶しているなどと思う人はいないだろう。

 チーズにモーツァルトを聴かせたら味が良かったとか、牛にクラシックを聴かせたら乳の出が良くなったとか、この種の怪しい話は、いつも存在する。

 そう言えば、「モーツァルトを聴くと頭が良くなる」などというトンデモない話があった。知能テストの前にモーツァルトを聴いたグループの成績と、何もせずにテストを受けたグループとでは、平均してモーツァルトグループの方が10点高い成績だった、という。

 もうとっくにそんな話は消えていると思ったら、今も『モーツァルト効果』などといって、商売上は「効果」を発揮しているらしい。実験に使われた音楽がモーツァルトの『2台のピアノのためのソナタ』だったので、それを「頭が良くなる音楽」と称して売っている会社まである。ここでも『1/fゆらぎの声』と同じ誤りが犯されていることは、お分かりのはずだ。

 音楽には、知能を上げる効果はない。これは「ホーソン効果」とでも呼ぶのか、昔ウェスタン・エレクトリックで行われたいわゆる「ホーソン実験」に現れた現象と似たようなものだろう。

 ホーソン実験は、「照明の適否が作業効率に影響する」という至極もっともな仮説に基づき、ある比較的下級の女子労働者が働いているラインで行われた。どうやら実験開始時から、普段の生産効率を上回っていたらしいのだが、まず照明を少しずつ明るくして行くと、効率はそれにつれて上がっていった。実験者は満足して、今度は少しずつ暗くしていった。ところが、驚いたことに、それでも効率は上昇していった。ついにはほとんど作業できないほど暗くしているのに、なおもある程度の効率が保たれていたという。

 この理由は、実験後の女性作業者たちへの面接で判明した。比較的下級の作業者だった彼女たちは、普段は面白いことも変化もなく、ただ日々の仕事をこなすだけで、隣で作業している同僚の名前さえ知らないというありさまだった。ところが、この時には重要な実験の対象になると聞き、彼女たちは非常に誇りに思ったらしいのである。自主的にミーティングを開き、互いの名前も顔も覚えて、「私たちは初めてみんな友達になりました」。そこで自分たちはチームだということや、きっと立派な成績を上げようという決意を確認し合った。

 要するに、彼女たちは非常に高揚した気分の中で実験に望んだわけで、始めから効率が高かったのはそのためであった。条件が変化すると、彼女たちはますますがんばった。照明が暗くなり始めたときは、互いに声を掛け合い、励まし合ったそうである。

 大雑把に言うと、こうした心理要因が働く実験では、不確定性理論ではないが、実験すること自体が結果を変えるのである。実験対象となって張り切っているということは、セロトニンだかアドレナリンだか知らないが、何か覚醒状態や注意力を誘発された状態だったと考えられる。「モーツァルト効果」もそういった「効果」だったのではないだろうか。

 ちなみにホーソン実験の結果、労務管理分野では「小さな物理条件の改善より、職場の良好な人間関係を構築することが重要」といういわゆる「人間関係論」が一世を風靡することになった。

 しかし私は、彼女らが誇りを持ったということの方に関心がある。人は誇りを持てない仕事には、がんばる気持ちも持てないものだ。ささいな欠点を厳しく責められるより、いいところを賞められた方が能力は伸びる。もっといいところを見せたい、他の人にも認知して欲しいという気持ちが働くからだろう。「誇りを持つ」というのは、常に賞められ続けているのに相当する。

 いずれにせよ、心理実験のたぐいは実験手順に非常な注意が必要であって、本当の効果かどうかは、慎重に考えなければならないということだ。

 ただし、オリヴァー・サックス博士が指摘しているような、知的障害で体の動作にも支障がある人の場合に、音楽を聴きながら動作するとスムーズだったという効果なら、私も信ずる。

 私もモーツァルトとバッハは一番好きな作曲家なので(どちらが上とは言い難い)、こうした話が出てくること自体は、うなずけなくはない。しかし、非科学的な話であることは明白だ。これでモーツァルトやバッハが見直されるのはいいとしても、迷信話が広がるのはうれしくない。好みのことであっても、意図したウソは避けたいからである・


とっぷ  科学のくずかご
inserted by FC2 system