ここで紹介している作品
『クープラン一族のクラヴサン音楽』(レオンハルト)
ゼレンカ『トリオ・ソナタ集、管弦楽曲集』
シャルパンティエ『真夜中のミサ曲』
ビーバー『ロザリオのソナタ』
ヴィヴァルディ『室内協奏曲集』

































































































ゼレンカ『トリオ・ソナタ集、管弦楽曲集』icon

ゼレンカ『エレミアの哀歌』icon



















































































ビーバー『ロザリオのソナタ』(マンゼ)(輸入盤)icon



ビーバー『ロザリオのソナタ』(マイヤー)icon




































ヴィヴァルディ/マスターワークス(ブリリアント)(輸入盤)icon





ヴィヴァルディ『室内協奏曲集』ラストレー(輸入盤)icon

バロックの作曲家1


バロック時代1

バロック時代という名称は、元来は美術史上の呼び名で、ルーベンスやカラヴァッジョの劇的な画面構成、強烈な光と影の対比の描写、といった新しい美術の流れを指す。ほぼ1600年頃から1750年頃までの潮流なので、音楽史でもこの時期をバロックと呼ぶ。美術史におけるルネッサンスは、ギリシャ美術に触発された面があり、人間の自然な感情や理想的な美(『モナ・リザ』など)を表現するというものが多かった。音楽史上の流れとしては、教会旋法から次第に離れ、後の調性組織に近い考え方が徐々に姿を現した時代と考えることもできる。

 ところが、その末期になると、イタリアのフィレンツェに「カメラータ」という知識人による一種の音楽改革会議のようなものが生まれ、そこで古典(ギリシャ時代の音楽劇の伝統)への回帰ということが議論された。この会議には、ガリレオの父でリュート奏者だったヴィンチェンツォ・ガリレイも参加していて、理論面で貢献したらしい。

 教会旋法を廃止して、平均律音階による調性組織を提案したのも彼らだという。「ドレミファソラシド」が長音階、「ラシドレミファソラ」なら短音階である。平均律は半音音程を2の12乗根とするもので、ある音から12半音上昇すると、ちょうど1オクターヴ(振動数が2倍)になる。しかしそれ以外の音程はすべて無理数であり、完全4度(基音の4/3倍の周波数)や完全5度(同3/2倍)も、無理数による近似値になる。これによりすべての調性が主音の位置を除けば同等になり、転調も自由になる。なお完全倍音による音程と平均律の差はわずかで、普通の人にはまず聞き分けが付かないが、音程に敏感な人は分かるそうだ。それによると、平均律の方がやや耳障りであるという。

 現在、ピアノの調律はほぼ平均律によっているが、弦楽器奏者などは倍音構成が大事なので。純然たる平均律とはやや違う音程の取り方をすることが多い。諏訪内晶子はチャイコフスキー・コンクールで優勝した後、ヨーロッパでしばらく修行していた。彼女は平均律で育ち、絶対音感もあるので当時は平均律で弾いていたところ、ウィーンだかどこかで「音程が悪い」と言われて驚いたそうだ。

 ヴィヴァルディの室内協奏曲集にオペラでもないのに「オペラ・ダ・カメラータ」と表記されたものがあったが、「オペラ」とはもともと「企て」といった意味らしく、「カメラータの企図に沿った作品」ということのようだ。現在の「オペラ」も語源はここにあるのだろう。

 とにかく、カメラータが考えたことは、現在われわれが「ルネッサンス音楽」と呼んでいる時代の音楽は、基本的にキリスト教音楽だった。ところが同じ時期の美術は、ギリシャの(異教の)題材を取り上げて、より自由で人間的な表現を成し遂げている。このような新しい音楽を確立しようではないかということだった。つまり実は音楽をバロック芸術にしようとしたのでなく、ルネッサンスを起こそうとしたのだ。ベーリ(1561−1633)による史上最初のオペラと言われる『ダフネ』がギリシャ神話を題材にしたのには、そういう理由もあったのである。

 しかし、結局のところバロック音楽は、時代の思潮にさらされていた。たとえばシェイクスピア(1564−1616)の『マクベス』(1606頃)の次の台詞、

さァ、運命め、自分でやって来い、汝(きさま)か、俺か、必死の勝負をしてくれよう!(坪内逍遙訳:第三書館『ザ・シェークスピア』所収)

というのは、モンテヴェルディの『オルフェオ』(1607)でオルフェオが掟破りの地獄入りに成功したとき、精霊たちが

どんな企て(掟)も人間に対しては虚しい、人間に対しては自然さえも武装できない。(あずさ・まゆみ訳:アルヒーフ盤のガーディナー演奏『オルフェーオ』の添付リブレットより)

と歌うのと似通っているだろう。オルフェオは音楽の神であって人間ではないから、ここの歌詞は少しおかしいのだが、掟や運命を知り尽くしてもなお、自らの意志を貫き挑戦しようとする人間の姿、という表現だ。これは『オイディプス』のように、運命が姿を現したとき、人間はその前で敗退せざるを得ないのと、全く異なると思うのである。言わば人間原理を神の摂理より上位に置くことを、高らかに宣言した時代でもあった。

『クープラン一族のクラヴサン曲集』(レオンハルト:クラヴサン)

 ルイ・クープラン(1626−1661)の『組曲ニ短調』やフランソワ・クープラン(1668−1733)の作品が入ったCDである。クラヴサンとはイタリアやドイツでチェンバロと呼ばれ、イギリスではハープシコードと呼ばれる楽器のことだが、ドイツ語で鍵盤楽器をオルガンもピアノもすべて「クラヴィーア」と呼ぶことを考えると、本来は単に鍵盤楽器の意味かも知れない。

 私には、特にルイ・クープランの音楽が魅力的だった。フランソワが端正な気品ある音楽なのに比べて、幻想と奇想にあふれ、壮麗さもあって面白い。

 蛇足だが、『大クープラン』と呼ばれて最も有名なのがフランソワであり、ルイは彼の伯父の当たるのだが、生没年を見ると分かるように、一世代以上離れている。

ゼレンカ『トリオ・ソナタ集』

 ヤン・ゼレンカ(1679−1745)は、ほぼバッハと同時代のボヘミアの作曲家で、ドレスデンの宮廷で活躍した。バッハにも影響を与えたと思われる。最近廉価盤で『エレミアの哀歌』が出たので、バロック・ファンにはうれしい限りである。

 ホリガー(オーボエ)、トゥーネマン(ファゴット)他の演奏。ただし私の聞いているのは72年の録音である。97年に再録音したそうだが、まだ十分良い音がするし、ホリガーはあまり解釈がぶれない人というイメージがあり、特に買い直す必要もないと思っている。

 この曲集で、バッハと同時代には他にも優れた作曲家がいたのだと思い知った。まあ考えてみれば、物理学ではニュートンとアインシュタインだけが天才で、他はボンクラだったなどということはない。マックスウェルやネルンストも彼らに比肩しうる最大級の天才だったし、キャヴェンディッシュやフーコーのような偉大な実験家がいたからこそ、今日の物理学はあるのだ。

 ゼレンカの他には、ツィポーリ(最近『鍵盤作品全集』で本格的に紹介された)も挙げておきたい。まとまった大曲が少ないのは残念だが、バッハに共通する内面性、瞑想性が聞かれる。

 ゼレンカに話を戻すと、トリオ・ソナタ第2番ト短調などは、黙って聞かされれば、ほとんどの人はバッハと区別が付かないだろう。私が持っているCDは、管弦楽曲集(カプリッチョ、シンフォニアなど)との5枚組のセットだが、管弦楽曲(77年録音)の方は華やかな響きながらやや物足りない点もある。トリオ・ソナタは、熟成したワインのように気持ちにしっくりなじむので、たっぷりじっくりと楽しむことができる。

M.シャルパンティエ『真夜中のミサ曲』

 神戸には『シャルパンティエ』という洋菓子屋さん(名店の一つ)があるそうだが、マルカントワーヌ・シャルパンティエ(1643−1704)はフランス古典音楽最大の作曲家の一人である。ルイ14世に仕えた音楽家で、中年に至るまでリュリに妨害されて出世できず、リュリの没後、最後期の50才以降になって開花したという。リュリも非常に優れた作曲家であったことは、『テ・デウム』などを聴けば一聴して明白だが、シャルパンティエの才能に大きな脅威を感じたらしい。作品数は500曲と数多く、壮麗で美しい音楽である。バッハと比べても、敢えて見劣りはしない精神的な感動や、技法の熟達もある。それに加えて響きのパステル・カラー的な美しさやほのかな色気というか、メロディラインのしなやかさがあるので、バロック音楽が好きな人なら、誰でも満足感を味わえる。

 この『真夜中のミサ曲』が最も優れた作品かというと、必ずしもそうとは言えない。全部知っているわけではないからだ。『クリスマスのための小オラトリオ』のサンフォニー『夜』などは、最も魅力的な音楽の一つだし、『テ・デウム』も『トランペット・ヴォランタリー』に似た雰囲気の華々しい曲で、誰でも耳にしたことがあるだろう。

 私の持っているのは、マルティーニ/パイヤール管のCDのみである。『エラート・アニヴァーサリー』シリーズで出ていた。併録されているのは『キリスト降誕の頌歌』と『クリスマスのための小オラトリオ』で、全貌を知るには至らなくとも、一端を味わうことはできる。

 この曲目は収録されていないが、『エルヴェ・ニケの芸術』と題された4枚組の「シャルパンティエ宗教音楽集」、また「エラート・クラシック100」に入っていたシャルパンティエ(コルボ演奏)も聴いてみると、想像以上の大作曲家であったことは分かっていただけるだろう。

ビーバー『ロザリオのソナタ』

 バロック時代のヴァイオリンの名手だったハインリヒ・イグナツ・ビーバー(1644−1704)の代表作で、全体は15曲のソナタから成っている。『ミステリー・ソナタ』とか、『聖母マリアの秘蹟ためのソナタ集』などの名称もあるが、本来は何も表題はなかったそうである。だが確かに第一曲からばら色の神秘的な光に包まれ、呪文めいたヴァイオリンの走句が駆け巡って、いかにも「これから世界の秘密を解き明かすぞ」という「秘蹟」あるいは「奥義」の印象が強い。

 曲の最後には、無伴奏の『パッサカリア』が置かれ、バロック時代最後のヴァイオリンの秘技が聴かれる。バッハの『シャコンヌ』に匹敵するわけではないが、当時の名技がどの程度だったのかは分かる。

 ビーバーはザルツブルグの宮廷作曲家だったので、モーツァルトの先輩に当たるわけだが、特別影響を与えた様子はない。しかしレクィエムやミサ曲など、他にも多くの秀作を残している。

 CDでは、手元にあるのはマンゼのものだけである。やや人間くさい演奏で、実を言うとあまり気に入っていない。このヴァイオリニストの能力の高さは認めるが、奇演に傾きがちなところが疑問だ。

 かつて所有していたヨーゼフ・マイヤー盤は、マンゼ盤よりやや明るい音色でさらさら弾いていて、それが白昼の神秘に出会ったような趣きを醸し出していた。

ヴィヴァルディ/『室内協奏曲集』

 ヴィヴァルディ(1678−1741)は「ただ一つの曲をたくさん書いた」などと言われるように、どれもこれもよく似ているので、何か一曲を選び出すのは難しい。逆に言うと、当たり外れもない。耳になじんだ音域のほんの少し上で音楽を展開しているので、何だか聴覚が広がったような快感があり、案外飽きが来ない。全体に明るく陽気で、さばさばしているが、忍び寄る憂愁の影もあり、決して浅薄な音楽ではないと思う。

 調性音楽の確立者と言えば『平均律クラヴィーア曲集』を書いたバッハと思うのが常識だろうが、私はヴィヴァルディこそ、そうだったのではないかという気がする。バッハの時代には、すでに調性破壊が始まっていた。『トッカータとフーガト短調』BWV542(大フーガの方)など、極端な転調で調性組織の限界に挑んでいたように聞こえる。そう言えば、バッハは一度「余りにも耳慣れない和声を弾く」といって、オルガニストの職をクビにされかけたこともあった。

 ヴィヴァルディは、第一楽章が長調なら第二楽章は短調、逆に第一楽章が短調なら第二楽章は長調、といった構成が多い。長調、短調という調性組織にぴったり従っていたようだ。転調もあまり極端ではないが、転調する時は、音楽の表情が大きく変化する。もっと後のロマン派では主題のイデーに固着するためか、転調してもあまり大きな表情の変化が伴わないことがある。

 室内協奏曲は、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、ファゴット、通奏低音といった楽器の組み合わせが多く、音色の変化が楽しめる。中に『四季』のパロディのような曲(編曲ではない)もあって驚かされる。

 イル・ジャルディーノ・アルモニコ。清新澄明な響きで、颯爽と演奏している。このCDは、ブリリアント・レーベルで出ているマスターワークス・シリーズの40枚組ボックスに入っていた1枚である。このセットは演奏も録音も良く、オペラなども入っていて、想像を超える内容だ。ただリブレットが付いていないのは残念である。

 ラストレー。ジャケット写真が美しい。その印象に引きずられているかも知れないが、少ししっとりした、繊細優美な響きに聞こえる。イル・ジャルディーノ・アルモニコに比べて、ややまろやかな演奏のように感じられ、気分は良い。なお両者の曲目は、一部ダブっている。


とっぷ  音楽談義  バロック2
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