古代の化学


古代の元素

<古代の元素>

古代には、「元素」と言えば「地水火風」といった「物事の性質」を表していました。西洋ではこの地水火風を四大(しだい)と呼びます。地と水は下に下がる傾向があり、火は上に上がる傾向、また風は上空を吹き渡っています。火は熱く、水は冷たく、地と風はその中間です。そうした性質の集まりが、いろいろな物質の根源であると考えていたわけです。

「熱い」「冷たい」というのは、人間の体温より高い温度なら熱く、低い温度なら冷たいという人間の感覚的なとらえかたです。現在ではそういうものは基本的な性質としませんが、古代には熱の原形質、冷の原形質があると思われたのです。同じように「上下」も現在では単に重力現象と分かっていますが、古代には上下が絶対的な方向と信じられていました。

中国では、「木火土金水(もくかどごんすい)」の5つを元素としました。これを五行と言います。やはり同じように、木の性質、火の性質といったものを考えていました。木は生命の性質を持っていて、それから火が生じ、灰となって土が生じます。また土の中から金属が出ます。金から水が生じるというのは分かりにくいのですが、金属はぴかぴか光るので、中国では天空が金属の性質を持っていると考えたようです。そこから水が生じて、雨になって降ってきます。その他にも、鉄でできた鋤やスコップなど農機具は、湿度の高い時期には表面に水滴が生じ、ぽとぽとと垂れ落ちるほど水が「生じる」ことがあります(私は実際に壁に掛けてあったスコップから水が垂れて、床に小さな水たまりができているのを目撃したことがあります)。また水があると草木が生じますので、この5つの性質は循環します。これを相生説(そうしょうせつ)と言います。

他に木は土を押し破って根を張るので、木は土に勝つ、土は水をせき止めたり池を埋め立てたりするので水に勝つ、水は火を消すので火に勝つ、火は金属を溶かすので金に勝つ、金属製の斧は木をたやすく切り倒すので、金は木に勝つ、といった考えもありました。これを相勝説、または相剋説(そうこくせつ)と言います。そうした五行の循環を考え、それによって歴史を説明しようとしました。

日本にも古くから五行説が入ってきて、江戸時代までは、科学的な理論だと思われていました。現代でも、相性占いの形で、この「理論」が生きていますね。

こうした「元素」の考え方は、また錬金術師たちの基本理念にもなっていて、地水火風の各性質を適切な比率で組み合わせれば、どんな物質でも作り出せるはずだ、と思っていたのです。それは17世紀半ばにロバート・ボイルが違った元素観を提唱するまで続きました。

しかし、そうした古い元素観も、それなりに経験と観察に基づいているわけですから、単に迷信的とは言えません。よく「分からないことも経験すれば分かる」などと言いますし、学校でも「体験学習」が行われていますね。本当は経験だけで何でも分かるわけではなく、適切な指導がなければ、むしろ間違った考え方に陥る危険性が大きいのです。それでも「科学」は、あくまで経験が出発点になっているのです。

 

<最初の元素>

歴史が始まったころ、すでにいくつかの金属が知られていました。

それは金、銀、銅、錫(スズ)、鉛、鉄、水銀の7つです。これを「古代7元素」と呼びます。漢字1文字で表わされるのは、それだけ古くから知られていたということです。

 

<金(Au)>

金がいつごろ発見されたかは、よく分かりませんが、漢字では、金属を代表する文字です。また化合物になりにくく、天然では金属状態(ぴかぴか光る状態)で存在する可能性が最も高い金属です。ですから、おそらく最初に発見された元素と考えられます。金の元素記号はAuと書きますが、ラテン語のAurumが元になっていて、「光るもの」という意味だそうです。

今でも金は特別美しい金属として、非常に好まれています。またそうしたわけで、金属は最初から宝物でした。

ちなみに、金の地表付近での平均含有量は3ppb程度です。ppbというのは分かりにくいですが、土が1トンあれば、そのうち3mgが金だということです。25mプールの標準的な水量は400トン程度なので、ここに1.2gほど(1円硬貨1枚ほどの重さ)の金が入っているという割合です。金の価格は2010年現在、大体1gあたり4000円ですので、全部回収したとしても、とても引き合う値段にはなりません。数ppm(ppbの1000倍)の含有量があれば、土1トンに対し数gの金があるので、回収する意味があるそうです。

金はもちろん装飾品に用いられますが、電子工業でもよく使われています。酸化されにくいので、集積回路の配線に利用すると、長期間にわたって安定で、壊れにくいのです。

また歴史上、さまざまな国で通貨の基本単位になっていました。江戸時代の日本は鎖国していましたが、長崎では外国と貿易していましたので、やはり金の価格は外国とほぼ同じだったそうです。明治時代には紙幣が発行され、「兌換紙幣」といって、銀行に持って行くと額面と等価な金と交換できるようになっていました。現在の紙幣は「不換紙幣」ですから、金市場で売り買いしなければ値段は決まりません。

現在の国際的な基準通貨はアメリカのドルです。1970年頃まで、ドルの価値も金の価格で決まっていましたが、ニクソン大統領の時に「金は自由価格」と決められ、世界中の通貨は一挙に流動的になりました。これに始まる一連の経済変動を「ニクソン・ショック」と言います。「ドルは基準通貨」といっても、かつては金が基準だったわけです。

 

<銀(Ag)>

銀と銅は、金に次いで早くから知られていたようです。一般には地球上の物質は酸化物になりやすいのですが、銀や銅は、酸化物より硫化物になりやすい傾向があります。そのため天然では硫化物として産出することが多く、これらの金属は、硫化物はあまり美しくありません。しかし空気中で加熱すると、わりあい容易に金属状態になるのです。硫黄分が外れて、しかも酸化されにくい(錆びにくい)ということです。ですから、天然にも、金属状態で発見されることがあります。周期表を見ると、金、銀、銅は縦に並んでいますが、偶然ではなく、やはり化学的性質に似たところがあるのです。

銀は、金に次いで美しい金属とされています。元素記号のAgはラテン語でArgentumという言葉に由来し、「輝くもの」という意味だそうです。実際、アルミニウムやスズと同じ銀白色といっても、銀の美しさと輝きには、特別なものがあります。そういう性質は、電気抵抗があらゆる金属中最小であるということと深い関わりがあるようです。

エジプト時代には、銀は金より貴重なものとされ、非常に高価だったそうです。その理由は、硫化物として産出する場合、やや見つけにくいことと、加熱などの加工が必要だからです。しかし元素としてみた場合は、地球上にある銀の量は金の3〜4倍あり、コロンブスがアメリカ大陸を発見して以降は、大量の銀がヨーロッパに持ち込まれたため価格が下がったということです。

銀も金と同じく装飾品に用いられますが、化学反応が起きやすく、空気中の硫黄分のために黒くなってしまいます。また塩素などのハロゲン(周期表の右端から2番目の元素)と容易に反応するので、昔はこれを利用して金の精製を行っていました。つまり金を溶かして海の塩と混合すると、銀は塩化銀になって、金と分離するという反応です。詳しい反応メカニズムは近代になって解明されましたが、古代からあった技術です。金は銀、銅と化学的性質が似ていて、天然に混ざり合って産出するので、純度を上げるため古代からあれこれ工夫されていました。

 

<銅>

銅は人類にとって最も有用な金属の一つです。「石器時代」の次に「青銅時代」があったことは、みなさんもごぞんじですね。純粋の銅は新品の10円銅貨のような色で、やや赤みがかったぴかぴか光る金属です。ただし10円銅貨は亜鉛やスズなどを混ぜてあり、実際には青銅製です。

銅の元素記号はCuで、ラテン語のCuprumに由来し、キプロス島の真鍮という意味だそうです。かつてキプロス島から銅がたくさん出たからということです。

青銅(ブロンズ)というのは、銅にスズを混ぜたものですが、実際には青いわけでなく、上記のように他の金属を混ぜると色が変化します。スズを20%程度混入すると大体白色になり、古代の鏡では最高の比率とされていました。

純粋な銅はかなり柔らかくて傷つきやすく、そのままでは工芸品としても武器としても使いにくいので、古代から合金として使われるのが普通でした。

一番古い青銅はヒ素青銅といって、たぶん偶然に発見されたのでしょうが、銅にヒ素を含有させたものです。天然の銅はしばしばヒ素を含んでいるので、産地によって硬さが違うなどのことから気付かれたと思われます。誰かが意識的にヒ素を混ぜることで銅を硬くできるという発見をしたらしく、ヨーロッパで見られる初期の青銅はほとんどヒ素青銅だということです。

しかしヒ素青銅は、製造中に有毒な亜ヒ酸などを発生するので、その次に発明されたスズ青銅に取って代わられました。紀元前3500年頃のことです。あまりにも古いので記録が残っておらず、どこで始まったかはよく分かりませんが、中東地域と考えられています。スズ青銅はヒ素青銅に比べると硬さでやや劣るものの、安全で製造が容易でした。中国に青銅が伝わったのは、スズ青銅の時代に入ってからです。

青銅製の剣や銅器が古代文明の遺物として、たくさん残っています。おなじみの銅鐸なども青銅製ですが、鋳造を容易にするため鉛も混入されていて、その同位体比で「卑弥呼の鏡」の産地を特定したという話は有名ですね。

 

<水銀>

水銀も銀や銅と同じく、硫化物になりやすく、酸化されにくい元素で、天然に産出する水銀はほとんど硫化水銀(HgS)の形ですが、たいへんきれいな朱色をした砂ですので、最初はそのまま利用されていました。「朱」というのは、色の名前と思われがちですが、実は硫化水銀(HgS)のことを言います。昔の宮殿や神社の柱はしばしば朱を塗ってありました。硫化水銀は美しいだけでなく防虫、防腐効果があったからです。

この朱色の砂(朱砂=しゅしゃ)は、また辰砂(しんしゃ)とも呼ばれていました。中国南部に辰州というところがあり、もっと奥地からここを通って出荷される朱砂が、最も品質が良いというので、名高かったのです。こ「辰砂」という名前は、今でも日本では、硫化水銀の慣用名として通用しています。

ところが誰かがこの朱を加熱してみたところ、硫黄分が飛んで、金属状態の水銀が残ります。液状で銀のようにピカピカしたこの物質は、古代人には水と金属の中間のように見えました。そして、これから「水の性質」を取り除くことができれば、純粋な銀になると思われたようです。錬金術の始まりでした。

錬金術師は、古代人の元素観を引き継いでいたので、水銀は銀に水の性質が

加わったものと考えたようです。ところがそこから水を取り去ろうと加熱すると、全部蒸発してしまいます。反対の性質を持つと思われる火の性質を加えようとすると、当時知られていた火の性質を持つ物質と言えば硫黄でしたので、化合すると硫化水銀となって元の木阿弥です。

しかし水銀こそ物質生成の秘密を握るに違いないという考えは根強かったようです。たとえば水銀は、他の金属の多くとアマルガムを作ります。金に水銀を加えると、金は徐々に水銀中に溶け込み、液体になります。これを銅像に塗って加熱すると、水銀だけが蒸発して、金が銅の表面に張り付いて、金メッキができます。東大寺の大仏などはそうやって金メッキが施されました。

なお水銀はよく毒性が問題になりますが、金属状態の水銀には、ほとんど毒性がありません。ただ沸点が低く、加熱すると水銀蒸気がたくさん出て、これは人間にとって非常に有害です。またゴミなどに混ざっていると、雑菌のため有機水銀になり、誤って摂取すると神経細胞に作用して、強い毒性を発揮します。

 

<スズ>

スズは銀白色で美しく、表面が酸化しても無色透明の皮膜になるので、あまり外観が悪くなりません。柔らかく加工も容易なため、工芸品や茶壺などに使用されます。ただしスズは低温になると結晶形が変化してふくれ、ぼろぼろになることがあります。ロシアの美術館には高価なスズの工芸品が収蔵されていますが、温度管理に神経を使っているそうです。

ちなみに、南極点到達の帰路に悲劇的な全滅を遂げたスコット隊は、燃料油を缶に入れていたのですが、金属板をスズハンダで缶の形にしてあったため、低温でぼろぼろになっていたそうです。そのため油が漏れてしまい、燃料不足になったことが悲劇の一因だったということです(スコット隊の遺体が発見されたとき、食料はまだ十分あったそうです)。

 

<鉛>

鉛は空気にさらされるとすぐに酸化被膜で覆われて光沢を失い、見た目に美しくない金属です。そのため単独で使われることは少ないのですが、水中でも酸化被膜に保護されて朽ちることがないので、古代ローマでは水道管に鉛が用いられました(日本でも戦前は鉛が水道に用いられていました)。また鉛は非常に重い金属です。そのため、天秤などのおもりとしても用いられていました。

ガラスに鉛を混入すると屈折率が大きく美しいガラスになることは紀元前1700

年ごろから知られ、クリスタルガラスと呼ばれています。ちなみに、ダイヤモンドの美しさの一つは屈折率の大きさに起因しています。

合金材料として重要視され、続日本紀にも伊予の国から鉛が献上された記事があります。卑弥呼の鏡などと言われる古代鏡や銅鐸の鉛同位体比が測定されているのは、こうした鉛青銅だからです。

鉛はウランやトリウムが放射性崩壊の果てに行き着く最終物質で、出発元素の原子量によって違った鉛同位体になります。たとえば原子量232のトリウムが原子量208の鉛になります。したがって地域によってウランやトリウムなど出発物質の存在比率が違っていたとすれば、最終的な鉛の同位体の存在比率も違ってきます。残念なことにその比率の違いはさほど大きいものではなく、研究者によっても異なる結果が出るようです。今のところ古代日本の青銅のほとんどは朝鮮、中国からの渡来品と考えられていますが、国産鉛の大半を占める神岡銅山の鉛のほうが同位体比が近いという説もあり、スズの配合比が大陸の青銅に比べ明らかに低いことなど、純大陸産とは言い切れない点もあります。

 

<鉄>

鉄も古くから知られていましたが、実用になったのはずいぶん遅れました。古くには隕鉄が加工されて使われ、エジプトでピラミッドの建設に使われた形跡があるそうです。隕鉄は鉄とニッケルの合金で、青銅より硬く、非常に高価で取引されました。けれども当時の人々はニッケルを知らなかったので、同じようなものを造ることができなかったのです。

これを苦心の末、なしとげた人々がいました。後に「ヒッタイト」と呼ばれる帝国を作った人々だと言われます。鉄を精錬するには、植物と共に高い温度で焼き、植物が発生する還元性のガス(早く言えば一酸化炭素)で、酸化物である鉄を還元します。そこまではいいのですが、純鉄を作っただけでは軟らかくて、青銅にも劣ってしまいます。しかしヒッタイトの人々はもう一歩進めて、鉄に炭素を含浸させる方法を編み出したのです。これを鋼(はがね)と言い、現在でも最も強靱で硬い金属材料です。紀元前1500年頃のことです。鋼の武器は、青銅の武器に容易に打ち勝つことができました。古代世界の最終兵器だったのです。

もっとも、製鉄の生産量はたいしたことはなかったそうですが。

ヒッタイトではこの製法を厳重に秘密にしていましたが、紀元前1000年頃に国が滅んでしまい、世界中に製法が広まりました。青銅時代が終わり、鉄器時代に入ったのです。

 

<元素の存在比>

元素は、すべてが均等に存在しているわけではありません。古代7元素のうちでは、鉄が最も豊富にあります。地球を形作っている主成分は酸素が約30%、鉄も同程度、ケイ素やマグネシウムが15%ずつですから、それだけでほとんどです。ただし鉄は重いため地球でも中心部に多く、地表付近では軽い元素であるケイ素の方が多くなっています。

これに対して金は非常に少なく、平均2ppb程度(ppbは10億分の1)しかありません。それでも金はおそらく最初に発見されたと考えられるのに対し、もっとたくさんある鉄は一番遅く実用化されました。ケイ素もたくさんあるのに、シリコン時代に入ったのはごく最近のことで、それまではただの砂でした。

こうした元素の存在比率は、元素のでき方に関連しています。そもそも宇宙が誕生したときは、水素とヘリウムしかありませんでした。現在でも、宇宙に存在する元素のほとんどが水素とヘリウムです。水素は最も軽い元素で、ヘリウムはその次に軽い元素ですが、そうした元素をもとに、恒星内部での核融合などの反応によって、徐々に重い元素が生まれてきたのです。ですから、おおざっぱに言えば軽い元素ほど古くからあって多く、重い元素は新しくできたので、少ないわけです。金のような元素は非常に重いものなので、太陽程度の恒星では造り出すことができません。まれに起こる超新星爆発のような、きわめて激しいエネルギーによって生み出されます。そうして生み出された元素のシャワーが、その数百万年後か、あるいはもっと長い時間をかけて私たちの星に到達し、降り注いで蓄積されたのです。

私たちの身体を作っているタンパク質も、その主成分の炭素や窒素は、他の星からやって来ました。だから「わたしたちは星のかけら」というのは本当です。地球上では、天然に新しい元素が生み出されることはありません。

ちなみに、金は非常に少ないと言いましたが、人類は貪欲に金を追い求め、現在までに採掘可能な金の半分くらいは掘り出されたと言われています。それを全部かき集めても、大きめの倉庫程度の量です。アニメのルパン三世に出てくる、一つの山が全部純金というようなことはあり得ないわけですね。またどこか遠い宇宙の彼方に、全体が金でできている星などというものもあり得ないことはお分かりでしょう。

 

[アルキメデスと王冠](アルキメデス:紀元前287−212)

古代には、金を取引するとき、重さを量っていましたが、中にはどう見ても重さの割に容積が大きいものがありました。こういうのを「比重が小さい」と言いますが、その考え方を最初に明確にしたのはアルキメデスです。

あるとき、王様が細工師に黄金を与えて王冠を作らせたところ、細工師が原材料の金属の一部を横領して、他の金属を混ぜたらしいという疑いが生じました。できあがった王冠の重量は原材料の純金と同じ重量ですので、証拠がありません。そこで王様はアルキメデスを呼び出して、「この王冠を壊さずに純金かどうかを調べよ」と命じました。

さすがのアルキメデスも困り果てましたが、ある日風呂に入ったところ浴槽から水があふれるのを見て「!」とひらめきました。

小学校などでは、このあと「水をいっぱいに張った水槽を二つ用意し、一方には王冠を、もう一つには王冠と同じ重さの金塊を入れて、あふれた水の量を比較しました」となっていることが多いのですが、実際はそうではないようです。紐で王冠をつるして水槽に入れ、水中での重さと空気中での重さの差から比重を計算したのでしょう。

浮力の原理、つまり水中の物体はそれが排除した水の体積に等しい浮力を受ける、ということから、王冠が軽くなった分から王冠の体積を割り出せるわけです。

筆者も子供のころこの話を聞いて、「あふれた水の量が正確に測れるのか」と疑問に思ったものです。水があふれたために水槽の外側が濡れて、その分は誤差になるはずです。濡れ具合はそのたびに違うはずですから、体積の差がわずかなら検出できなかった可能性があります。でも中に入れた物の重量を量るのなら誤差は小さく、誰が量ってもほぼ同じ結果が得られるでしょう。

とにかくこうした「重量分析」が古代の分析化学で、その時代が長く続きました。


もくじ

1.古代の化学
2.錬金術の時代
3.近代化学の夜明け
4.原子説と分子説

5.分光分析

6、周期表
7.質量分析と素粒子物理学
8.有機化学
9.クロマトグラフィー
10.希土類元素




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