錬金術の化学


錬金術の元素

 

紀元4〜5世紀ごろ、ギリシャでは錬金術師が活躍して複雑な蒸留装置を作り、硝酸も作ったようですが、ヨーロッパは狂信(迷信)的なキリスト教信仰のために、アレクサンドリアの大図書館を「異端」として焼き討ちにしたほどで、こうした知識を受け入れようとしませんでした。

ヨーロッパがギリシャの知識のほとんど(アリストテレスの著作の一部を除いて)を失ったことは、「暗黒」の中世には後悔の念を伴って語られていたようです。人々はギリシャ時代を「聖なる知恵に満ちた巨人たちの時代」と考え、まるで神話のように語っていました。

(当時の西欧の人々にとって、歴史とは、ひたすら破滅に向かう衰退の歴史でした。人類が無限に進歩するといった「進歩史観」は、後の時代に生まれたものです。)

しかし西暦1000年ごろから数度にわたって十字軍の遠征があり、状況が変わってきました。遠征そのものは失敗で、騎士団はあまりはかばかしい成果もなく引き揚げたわけですが、そのときアラビアの書物などを携えて戻ったのです。そこには西欧が忘却して久しい古代ギリシャの書物などが含まれていました。

それらの知識が広まったのは、公共図書館や大学が創設された、12世紀ルネッサンスと言われる時代に入ってからです。そうした施設を通じて、古い(それとも新しい?)知識に触れることができました。西欧は伝説的な古代の知の巨人たちをはじめて等身大に捉えるようになったわけです。

その中には、また錬金術に関する著作もあり、西欧でもひそかに行われていた錬金術に大きな進歩をもたらすことになりました。最大の錬金術師は「にせのゲーバー」と言われる正体不明の人物です。彼は1300年ごろに著した著作で、ミョウバンを加熱蒸留して硫酸を作り出す方法を述べています。また彼は硝石とミョウバンなどの混合物を蒸留して硝酸を作りました。それまで知られていた最も強い酸は酢酸でしたので、これらの強酸が作り出されたのは画期的なことです。

ミョウバンは、天然にはアルミニウムとカリウムの硫酸塩として産出します。AlK(SO)という形で、これに結晶水が付いています。たぶん強熱するとまず結晶水、次に硫酸根(SO)が蒸発したでしょう。元の容器にはアルミニウムとカリウムが残ったはずです。これらは沸点の高い酸化物になります。

また硝石は硝酸カリウムで、にせゲーバーは硝酸の造り方について、「キプロスの礬類(硫酸銅)1ポンド、硝石2ポンド、イエメンの明礬(硫酸アンモニウム)4分の1ポンドを蒸留器に入れて、フラスコが真っ赤になるまで加熱せよ」と書いています。

「にせのゲーバー」と呼ばれるのは、紀元750年ごろのアラビアにジャービル・ブン・ハイヤーンという大錬金術師がいて、このジャービルを西欧ではゲーバーまたはゲーベルと読んでいたからです。彼はその名を借りて著作を書きました。正体はおそらく名のある貴族で、錬金術に凝っていることが分かれば、処罰される恐れがあったため、偽名を用いたのでしょう。当時の錬金術は魔術・魔法と同じで、異端の技術でした。だから後の魔女裁判に見られるように、厳しく取り締まられていたのです。ともあれ、彼の書いた本は、前記のように他の錬金術師と違った具体的な処方が書いてあり、実験で確かめられる内容でしたので、長く教科書として用いられました。

(錬金術師の著作には、しばしば奇妙な比喩を用いて神秘めかした表現が見られ、たとえば「なんじ、鉛白ないし雪花石膏の教会を作るべし。初めもなく終わりもなきその内に澄んだ水と太陽の輝きに似た明るさが存在す」などと書いてあり、その「教会」というのは蒸留装置のことだそうですから、一般の人には何のことやら訳が分らなかったでしょう。これも異端と見なされることを恐れたからでした。)

中世には、いつの間にかヒ素、アンチモン、ビスマス(蒼鉛)なども元素だと考えられるようになりました。亜鉛が元素とされるようになったのはずっと後のことですが、銅との合金(真鍮)は古くから利用されていました。また炭素と硫黄もはっきりしないまま元素として扱われていましたので、古代7元素と合わせるとこれで13元素となります。

錬金術の時代は暗黒の中世と考えられがちですが、実際はルネッサンス(1450年ごろ〜1600年ごろ)以降が最も盛んでした。魔女裁判が盛んだったのも、やはり同じころです。中世にはキリスト教世界が比較的安定していて、異教徒に対する戦いは絶えませんでしたが、教義そのものは疑われていませんでした。ところがルネッサンスに入ると、ルターなどの新教徒が登場し、教会の権威そのものが揺らぎ始めたのです。

このことは、グーテンベルクの印刷術(1450年ごろ)によってヨーロッパにおける知の爆発が起こったことと無縁ではありません。中世には書物は主に教会に置かれていました。聖書は聖職者だけが読み、一般民衆は教会で聖職者の口からキリストの教えを聞いていました。そのため時にはいかがわしくねじ曲げられた「教理」が説かれることもあったようです。ところがルターがドイツ語訳聖書を出版して多くの民衆に自ら聖書を読むことを教えたので、人々はそれまで聞かされていた聖書の内容との違いに気づき、教理を疑い、客観的な判断をするようになったのです。

それが新しい思想をすべて邪悪な悪魔の思想だという考えを生んだのでしょう。

ルネッサンス時代の最も有名な錬金術師がパラケルスス(1493―1541)です。彼はドイツ領だったチューリヒの生まれで、本業は医者でした。名声は高かったのですが、十分な成功を収めたとは言えないようです。同業者への悪口雑言がひどく、著作でもへぼな医者をこき下ろしています。

 彼はヨーロッパ中を放浪して、並外れた知識を持っていました。ただし、錬金術師といいながら、金を作ることにはあまり関心がなく、むしろ万能薬を探し求めて化学実験を行っていたというのが本当のところでした。

古代中国でも錬金術は盛んでした。ただ金を作るというより、不老不死の仙人になる霊薬を作ろうとしていたので、パラケルススに近い考え方だったようです。ですから錬丹術などと呼ばれました。確かに不老不死なら、黄金はそんなに必要ないでしょうね。中国では水銀、ヒ素、硫黄などを主体に作るものとされていて、毒性の高い元素ほど長命を得るのに重要と思われていたのでしょう。作られた丹薬を飲んで命を落とした人もいたと言われます。

錬金術の考え方は誤っていましたが、その過程で蒸留器などの実験器具がいろいろと工夫され、後世の化学に大きな影響を残しました。

 



1.古代の化学
2.錬金術の時代
3.近代化学の夜明け
4.原子説と分子説

5.分光分析

6、周期表
7.質量分析と素粒子物理学
8.有機化学
9.クロマトグラフィー
10.希土類元素



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