本居宣長『古事記伝』(現代語訳)43_3

 

 

意富祁命。坐2石上廣高宮1。治2天下1也。天皇。娶2大長谷若建天皇之御子春日大郎女1。生御子。高木郎女。次財郎女。次久須毘郎女。次手白髮郎女。次小長谷若雀命。次眞若王。又娶2丸邇日爪臣之女糖若子郎女1。生御子。春日山田郎女。此天皇之御子。并七柱。此之中。小長谷若雀命者。治2天下1也。

 

訓読:オオケのミコト、イソノカミのヒロタカのミヤにましまして、アメノシタしろしめしき。このスメラミコト、オオハツセのワカタケのスメラミコトのミコ、カスガのオオイラツメにみあいまして、うみませるミコ、タカキのイラツメ、つぎにタカラのイラツメ、つぎにクスビのイラツメ、つぎにタシラカのイラツメ、つぎにオハツセのワカサザキのミコト、つぎにマワカのミコ。またワニのヒツマのオミのむすめヌカのワクゴのイラツメをめして、うみませるミコ、カスガのヤマダのイラツメ。このスメラミコトのミコたち。あわせてななはしらます。このなかに、オハツセのワカサザキのミコトは、アメノシタしろしめしき。

 

口語訳:意富祁王は石上の廣高の宮に住んで天下を治めた。天皇が大長谷若建天皇の娘、春日大郎女を娶って生んだ御子は、高木郎女、次に財郎女、次に久須毘郎女、次に手白髮郎女、次に小長谷若雀命、次に眞若王であった。また丸邇の日爪臣の娘、糠若子郎女を娶って生んだ子は春日山田郎女である。この天皇の御子は、合わせて七人いた。このうち小長谷若雀命は後に天下を治めた。

 

この初めに、真福寺本には「袁祁王の兄」とある。○意富祁命(おおけのみこと)。【多くの本に「富」の字がない。ここは真福寺本、延佳本によった。また「命」の字は、真福寺本には「王」と書いてある。】○この天皇の後の漢風諡号は仁賢天皇という。○石上は前に出た。【伝十八の五十二葉】○廣高宮(ひろたかのみや)は称賛した名前だろう。書紀の神代巻に「その宮を作るには、柱は高く太く、板は広く厚くすべきだ」などもある。書紀に「元年春正月辛巳朔乙酉、皇太子は石上の廣高宮で即位した」とある。この宮の地は帝王編年記に「山邊郡石上の左大臣の家の北辺の田原」とある。【大和志に「山邊郡嘉幡村」と言っている。】○春日大郎女(かすがのおおいらつめ)。朝倉の宮の段では、この皇女は漏れて見えない。書紀にはあり、その段で引いた。【伝四十一の三葉】またこの巻に「元年・・・二月辛亥朔壬子、まえの妃春日の大郎皇女を立てて皇后とした。【春日大郎皇女は大泊瀬天皇が和珥臣、深目(ふかめ)の娘、童女君を娶って生んだ。】」とある。○高木郎女(たかぎのいらつめ)。景行天皇の御子に高木比賣命、應神天皇の妃に高木入比賣命などというのがある。書紀に高橋の大郎皇女とあるのがそうだろう。【高橋は大和国添上郡の地である。書紀の崇神の巻、また武烈の巻の歌に見える。母の名も高橋皇女とある。同じ地だろう。】○財郎女(たからのいらつめ)。名の意味は前【伝廿九の四十八葉】に言った。書紀に「朝嬬(あさつま)皇女」とあるのがそうだろう。【「朝嬬」は地名である。前に出た。】○久須毘郎女(くすびのいらつめ)。名の意味は上巻の久須毘命のところで言った通りだ。【伝七の五十七葉】○手白髮郎女(たしらかのいらつめ)。【白髪は借字である。】名は瓦器の名である。貞観儀式【大嘗會の儀】に「水部(もいとり)一人、『たしらか』を取る」。【大嘗會式、宮内式、江家次第などにもそう見える。】四時祭式【神今食に供える料】に「たしらか四口」、大嘗祭式【神御に供える雑器の中】に「たしらか八口」、主計式に「たしらか二口【一斗を受ける】」、また「手白髪瓶(瓦+并)(たしらかべ)」四口」などがあるのがそうだ。【「水部執」とあるのを考えると、水を入れる器ではないだろうか。また「一斗を受ける」ともあるからやや大きな器のようである。このものは和名抄には見えない。】名に負ったのは理由のあることだろう。○小長谷若雀命(おはつせのわかさざきのみこと)。【「雀」の字を旧印本他一本に「鷦鷯」と書いたのは、後人が書紀によって改めたのである。ここは真福寺本、延佳本、他一本、また一本によった。後に出るのも同じ。】「小長谷」は長谷に住んだことにより、大長谷天皇に対して小長谷と言ったのである。「若雀」も大雀天皇に対して言う。書紀に「七年春正月、小泊瀬の稚鷦鷯(わかさざき)尊を立てて皇太子とした」。○眞若王(まわかのみこ)。同名の王が多い。書紀によれば皇女である。【同名の例は男にも女にもある。】書紀に「皇后は一男六女を生んだ。その一を高橋大郎皇女、その二を朝嬬皇女、その三を手白髪皇女、その四を樟氷(くすび)皇女、その五を橘皇女、その六を小泊瀬の稚鷦鷯の天皇と言い、その七を眞稚(まわか)皇女という。【一本に樟氷皇女を第三に、手白髪皇女を第四とする】」とある。このうち、橘皇女は、この記には漏れている。廬入野の宮の段に「天皇は意富祁天皇の御子、橘之中比賣命を娶って」とある。○丸邇(わに)は【諸本に「邇」の下に「臣」の字がある。ここは真福寺本にないのによった。この字は名の下にもあるからである。「かばね」は名の下に言えば姓であり、姓の下には言わない。重ねて言うことはない。】姓で、前に出た。【伝廿二の四十六葉】○日爪は「ひつま」と読む。【「爪」を延佳本に「瓜」と書いて「ふり」と読んでいるのは、例のさかしらごとである。それは書紀の分注に「日觸(ひふれ)」とあるからだろうが、その分注の説は應神天皇の妃に和珥の日觸使主の娘があるのと混同した誤りである。その日觸は、この記に「比布禮」とある。「瓜」を「ふり」と言うことはない。】この人は師木嶋の宮の段にも紛れて出ているが、書紀に「日抓」と書かれている。「抓」は「ソウ(木+爪)」を誤ったもので、「つま」である。【神代紀に「ソウ(木+爪)津姫の命」などがあって、「ソウ」は「つま」と読む字である。万葉(50)に「眞木のつまで」などがあるのもこれだ。新撰字鏡に「『抓』は『トウ(てへん+稻のつくり)』である。爪を刻むのである。・・・『つむ』」とあるが、この字ではない。】「爪」は「つめ」だけれども。「つま」とも普通に言う。【「爪」を「つま」と言うのは、酒を「さか」、船を「ふな」、稲を「いな」というたぐいの例で、「爪某」と下に言葉を連ねて言う時のことだが、「食(うけ)」を「宇迦之御靈(うかのみたま)」、「天(あめ)」を「天原(あまのはら)」など、「之」と続く時も第一の音(あ列の音)に転じる言葉も多いから、ここも「之臣」と続けて言うところだから「つま」に「爪」の字を書いたのだろう。また「ソウ(木+爪)」の字の木偏を例によって省いて「爪」と書いたのでもあるだろう。とにかく爪は「つま」と読むべきで、「ソウ(木+爪)」は「つめ」とは読めないので、「ひつま」でなければならない。この「日爪」の読みは紛らわしく、思い惑う人もあるので、少し詳しく言った。】○糖若子は「ぬかのわくご」と読む。【「糖(ぬか)」は和名抄には見えない。新撰字鏡に「?(禾+充)は俗に糠と書く。云々、また『ぬか』」と見え、万葉巻四(520)に「不歟(ぬか)」というところに「コウ(禾+康)」と借りて書いている。ここの「糠」を書紀で「あら」と読んでいるのは間違いだ。「あら」にこの字を使うことはない。「若子」は「わくご」と読む例だ。「某若子」と言うのはみな「某の」と言っている。ただし女子に「某の若子」と言うのは珍しい。書紀にこの名を糖君娘とある「君」の字は、「若」を誤った本をそのまま取ったのだろう。】○春日山田郎女(かすがのやまだのいらつめ)【「山」の字は諸本に「少」と書き、真福寺本に「小」と書いている。ここは延佳本によった。】春日は母の家、丸邇は春日の内にある。【それで丸邇氏を書紀に「春日の和珥の臣」ともある。】春日に住んでいたことは書紀の継体の巻の勾大兄皇子(まがりのおおえのおうじ)の歌に見え、そこには「春日の皇女」とある。山田は和名抄に「河内国交野郡、山田郷」がある。これか。後に山田という所に住んだことがあるのだろう。書紀に「次に和珥臣、日爪の娘、糠君娘が一女を生んだ。これを春日の山田の皇女という【一本にいわく、和珥臣、日觸の娘、大糖娘が一女を生んだ。これを山田の大郎皇女、またの名を赤見の皇女という。】」とある。【延喜式神名帳に「近江国犬上郡、山田神社」、「坂田郡、山田神社」、「伊香郡、赤見神社」などがある。これらの地名ではないだろうか。】安閑の巻に「元年三月、有司は天皇のために億計天皇の娘、山田皇女の納采を行って皇后とした。【またの名は山田の赤見の皇女】」、「二年冬十二月、天皇が崩じた。河内の舊市の高屋の丘の陵に葬った。皇后の春日の山田の皇女および天皇の妹、神前の皇女を合わせてこの陵に葬った」、諸陵式に「古市の高屋の墓は、春日の山田の皇女である。河内国古市郡にある。兆域は東西二町、南北二町、守戸二烟」とある。○若雀命(わかさざきのみこと)。【諸本に「命」の上に「之」の字がある。ここは真福寺本にないのによった。また一本に「命」の下に「坐長谷」の三字がある。】○この天皇は年齢も御陵も書いてない。どういうことか。書紀には「十一年秋八月庚戌朔丁巳、天皇は寝ている時に崩じた」とあり、年齢は見えない。ある書には五十、ある書には五十一と書いてある。○御陵は書紀に「同年冬十月己巳朔癸丑、埴生の坂本の陵に葬った」、諸陵式に「埴生の坂本の陵は、石上の廣高の宮で天下を治めた仁賢天皇である。河内国丹比郡にある。兆域は東西二町、南北二町、守戸五烟」とある。埴生坂は前に出た。【伝卅八の十三葉】河内志に「埴生坂本の陵は丹南郡黒山村の管内にある。陵のほとりに冢が二つある」と言っている。【これを天武天皇の御陵と俗に言うのは誤りである。またこの御陵をあるいは葛井寺の南にあると言い、あるいは錦部郡の野中村にあると言うのはみな誤りである。】

 

 



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