音楽図書館


音楽図書館の夢

 私は音楽やオーディオについて、いくつかの夢を持っているが、かなり執着しているのが「音楽図書館」である。これをオーディオ談義に入れたのは、ハードウェアに関する議論だからで、資金さえあるなら、そういう施設を作りたい。ここではその夢について語ろう。

[音楽図書館]

 音楽図書館というのは、そこに行けば世界のあらゆる音楽に触れることができる場所である。CD、DVDの視聴、借り出しもできる。

 視聴室では、通常はヘッドフォンで、他の人に迷惑をかけずに視聴できる。サーバー内に蓄積されたデータを用いるため、多数の人が自由に曲を選んで聴くことができる。アナログ系はそういうわけにも行かないので(途中でディジタルデータ化をすると無意味であるから)、別に設備を設けることになる。SACDデータならサーバー内に収容することも可能だが、現在は普通に行われていないので、方法を考える必要があるだろう。

 また中規模のコンサート・ホールもあり、然るべき人の解説付きでCDやDVDの再生コンサートを行ったり、時には演奏家を招いて実演も行う。

 音楽を語り合いたい人のための談話室も設ける。ここではヘッドフォンでなく、通常のシステムで共聴するのが基本である。

 付属施設として喫茶店もしくはレストランもあって、そこでも音楽が流れている。かつて大阪梅田の名曲喫茶「日響」では、クリスマスになるとバッハの「マタイ」やヘンデルの「メサイア」といった大曲を聴く会を設けていたが、ここでも時々それに似たことをやりたい。大画面モニターも置いて、バレエやオペラも楽しめるようにしたいものだ。

 当然オーディオ・システムは最高級のものが設置されており、コンサート・ホールには、建築そのものと一体化した音響設備がある。キリスト教会にはパイプオルガンのような「音響設備」があるが、それと同様と考えても良い。

 また、音響学ないし音響心理学的実験を行うこともできるようになっている。かつてオーディオ雑誌などでもてはやされた音質向上技術のうち、いくつかは私も試したが、言われているような効果は全く聴き取れなかった。聴感で違いがあると思ったのは、せいぜい4つぐらいである。初期のトランジスタ・アンプと真空管アンプの音の違い、ムーヴィング・コイル型のカートリッジとムーヴィング・マグネット型の差、針圧による音の変化、コーン型スピーカとホーン型スピーカ、ネットワーク式のマルチウェイとマルチチャンネル・アンプの違いなどだ。それ以外、CDに塗れば乱反射を防いで音が良くなるという塗料、上等なケーブルなどは、全く変化がわからなかった。一生懸命CDにへんてこな塗料を塗ったのは、時間とカネの無駄であった。

 ケーブルも、極端に言うと、適当な長い電源タップ用のケーブルを買ってきてつないでも、高価なケーブルと全く変わりない。ただ昔、A級とAB級の切り替え機能付きのアンプを使っていたことがあり、両者の音質の差は全く分からなかったのだが、ずっと聴いていると、いつの間にかA級駆動を選択することが多くなり、最終的には常にA級で聴いていた。非常にわずかな差だったが、A級のほうが少し色彩感と陰影感が深かったのではないかという気がする。

 だからケーブルなども、すぐには分からなくとも、長く聴いていれば差が出てきたかもしれない。もっとも、これは物理特性などと関係のない純然たる心理的効果だった可能性もあり、今となっては違いを断定できない。

 そうした違いも、メーカーのうたい文句や雑誌記事のレポートのような効果があるのかどうか、実際に聞いてみれば分かることだと思う。

 音響技術の歴史をたどる展示品もそろえたいが、これは今では十分にそろわないかも知れない。

 図書室には、楽譜、音楽研究書、音響学に関する文献などが閲覧できる。海外では楽譜がPDF化されてダウンロードできる(もちろん個人的利用に限る)サイトがあるが、ここでもそれと連動した活動を行う。

 音楽ソースとしてはクラシックばかりでなく、ポップスやジャズ、民族音楽なども置きたい。クラシック・ファンには、ロマン派までしか聴かない人があり、そうした人はドビュッシーなども敬遠するという。私は中世・ルネッサンスから現代までという幅広型で(一部の音楽、たとえばウィンナ・ワルツは苦手だが)、ポップスでもジャズでも、耳に入ってきた音楽はそれなりに評価を下しており、初めから全く受け付けないということはない。

 また必要な人のためには、文芸作品の朗読などの音源も備える。こうした音源は、やはり次代に伝えるべき貴重な資料であろうと思う。端的に言うと、街の物音といった何でもない録音も、現在昔の街角の映像が貴重であるように、後代から見ると重要な資料になる可能性があるのだ。

 場所は森や林の中とまでは言わないが、静かな郊外で、最寄り駅からバス1本で到達できる場所が望ましい。これは交通費をできるだけ低く抑えるためである。原則として車での来館はお断りする。駐車場を設けても、かなり離れた場所にすべきである。

 使用する電力はすべて太陽光発電でまかなうことが望ましい。水も井戸水が好ましいが、水質管理は注意して行う必要がある。下水、ゴミ処理については、残念ながらすべて内部処理というわけには行かないだろう。現在の下水やゴミ処理の技術は非常に高水準なもので、簡単に行うことはできないと思う(誤解があるかも知れないが)。

 似たような施設は、音楽大学の付属図書館などにも見ることができる。しかしやはり、一般人が利用するには敷居が高い。もっと気軽に、しかも最高の環境で利用できる施設が欲しいのである。

[法的問題]

 法的な問題もある。たとえばCDデータをすべてサーバー内に置くなどのことは、支障があるかも知れない。ただこのデータは館内での利用に限り、インターネットからはアクセスすることができないようにしておく。

 CDなどの貸し出しはもっと問題だ。現在のレコード会社というか、音楽産業全体は大変な状況にある。特にクラシック部門は、もうずいぶん前から、採算が取れていない。レコード会社はポップス系の売れ行きでメシを食っているのであって、クラシック部門は文化事業として、赤字でも仕方がないと考えているそうだ。それなのにCDの無料貸し出しや無料コンサートなどがあれば、CDの売り上げはますます減るだろう。

 最近、各社が「高音質CD」を出しているのは、クラシック部門では珍しくよく売れるからだそうだ。ノーマルCDより高い値段なのに、特にクラシック・ファンがよく買うのだそうである。かつて期待されたSACDにメーカーがあまり熱心でなくなったのは、売れないからだろう。SACDは、ハードウェアが必要だ。音がいいと言われても、すぐに今まで愛用していたCDプレーヤを捨ててSACDプレーヤに買い換える人が大勢いるとは思えない。ところが高音質CDなら普通のプレーヤで再生できて、雑誌の評価ではSACDの評価と同じように書いてある。それなら特にお気に入りのCDを高音質CDに換えて聴いてみるのも悪くない。だから売れたらしい。

 私自身も、カール・リヒターの「マタイ」を所有しているのだが、評判を聞いてSHM−CD盤を購入した。「マタイ」はステレオ初期(58年)の録音にもかかわらず良い音で録音されている。だがいくらか乾き気味で、それがわずかな不満だった。それがSHM−CDなら改善されているかも知れないと期待したのだ。だが結論は「全く差がない」。あまり期待したのが間違いだったのだが、よく考えれば材質が高品質になっても、結果は読み取りミスの減少につながるだけで、アナログレコードのように、音が良くなることに直接結びつかない。

 ちなみに、読み取りミスとその補正が音質に関係することは、最初にCDが登場した頃から言われていた。80年頃には、プロ用のディジタル録音機が普及したようで、それ以降に録音されたものは、ほとんどディジタル録音と表記されている。民生用のCDプレーヤが登場したのは82年のことだ。ソニーが初めてだった。その後、各社から製品が相次いで出た。プロ用機には読み取りミスと補正計算をリアルタイムで表示するモニターもあったらしく、オーディオ評論家には、それを見ながら音質評価をする人がいた。読み取りミスが多いほど音が悪いという。では音質から読み取りミスの多寡を知ることはできるのか?そういう逆命題が証明できないなら、元の命題も証明されたとは言えないが、評論家氏にも分からなかったようだ。とすると、読み取りミス=音質が悪いという公式は成り立たない。補正機能は思ったより強力で、反射層のアルミ膜が見た目にも(光に透かすとよく分かる)孔だらけでも、ちゃんと音が出ていたし、決して音が悪くはなかった。

 それでも高音質CDで音楽産業の業績が向上するなら、あまり反対はしない。そもそも最近、昔よく開催された「レコード・コンサート」のような「CDコンサート」が行われないのは、相対的にCDが安いものになったからだろう。私が若い頃、月収が10万円足らずの時に、レコード一枚は2500円した。貴重品なので、「一度でも聴いてみてからでなければ買えない」という商品だったのだ。CDの価格はその頃のレコードよりむしろ安くなっており、輸入盤なら半額以下である。一方、収入は増えている。最近では、「試しに買って聴いてみよう」と軽い気持ちで買える値段になった。安いということは、レコード会社の収入は減ったということでもある。あれやこれやの手で、少しでも高く売りたい気持ちは分かるのである。

 しかし、「新貧民層」が出現し、若い人には月5万円程度の収入しかない人もあるということだ。私の場合は病身の父を抱えていたので、月収の大部分は家計に消え、手元の小遣いとしては月収の一割程度しか残らなかったから、最近の若い人と同じではないだろうが、CD価格の負担はやはり大きいだろう。聴いてみなければ好きになれるかどうか分からないクラシックのCDを「一度聴いてみるか」と軽い気持ちで買うわけには行かないと思うのである。

 貧民層を作り出したのは行政の責任でもあり、企業自体の責任でもある。かつてバブルの頃に人件費が増大し、苦しんだ企業は人件費削減のために、非正規雇用の人材を傭った。人材派遣であれば、派遣先企業は派遣会社に対する支払いだけを負担する。保険やもろもろの庶務業務は、派遣会社が負担する。会社への導入教育などもかなり簡略化でき、正社員を雇用するより、人件費ははるかに安く付くのである。業績が悪くなったとき、首を切るのも簡単だ。

 こうした状況に対し、行政は何の手も打たずに来た。非正規雇用、フリーターといった存在は、実はバブルの最中から目立って増えていた。もちろん人件費削減の意味もあったが、当時の求人難の中で、特定の企業に愛着を持たない若者が「フリーターでも何とかやっていけるさ」と軽く考えるケースが急増した。待遇や職場の雰囲気に不満があれば、他の会社に行けばいいのである。いくらでも仕事があったからだ。こうした風潮に、企業でも使い捨ての扱いをした。逆に会社に愛着を持ち、会社を発展させようと奮闘努力した人にも、企業は温かい眼差しを注いだりはしなかった。

 まあ私は経済学の専門家でもないし、この問題は脇に置いておくとしよう。

[作曲家の卵たちの殿堂]

 コンサート・ホールは、もちろん貸し出しも行う。ピアノ教室の発表会などは有料だが、作曲家の卵で、借りる資金はないけれども、発表したい作品がある場合、一定以上の水準であれば、無料で貸したり、演奏家の手配などもする。

 そうした新作は常時受け付ける。審査基準を厳しくしすぎると、いい作品を見逃すおそれがあるので、緩い基準にして、できるだけ発表の機会を多くする。結果として駄作や凡作でもいいと思うのである。発表機会が多く、聴衆の前で実際の音として聴くことができることは、作曲家の卵たちの意欲を刺激するであろう。

 あるときゲームの音楽を聴く機会があり、通して聴くと、場面によって作曲者が違う。私はそのCDを持ってきた女性に「場面によって数人が分担している」と言うと、彼女は「作曲者は一人だけのはず」と言う。「だけど少なくとも一人はクラシック系の作曲家を目指しているし、他の作曲者はロックやポップスの世界を目指している。そのロック・ポップス系にもかなり能天気な人と、やや辛口の人がいるような気がする」と私は言った。その後彼女も調べてみて、三人以上の作曲者がいることが分かった。

 そのとき分かったのは、彼らはクラシック系の作曲家になりたいと思っても、門戸が閉ざされているので、ゲームの音楽などを作っているということだ(演奏は当然MIDIなどを使っている)。私自身、作曲家を目指したことがあるのだが、調性音楽を頭から否定する60年〜70年代の「ヒョーロンカ」たちの論調に負けて諦めてしまった。当時、そういった作品は、作曲コンクールなどでもほとんど「古くさい」と門前払いであり、芽が出る可能性は全くなかった。

 クラシック系の音楽というと、若い人たちは「古い」と思うだろうが、実はそうでもない。ある女性ロック歌手の作品を聴いていて、「彼女はショスタコーヴィチに関心があるのかなあ」と思ったことがあるし、前述の私の聴いたゲーム音楽作者の一人は、明らかにバルトークに影響されていた。バルトークの音楽には、現代のロックやポップスの世代が聴いても、おそらく新奇すぎて理解できないものがあるのではないだろうか。

 だがそうした新しい音楽も、ゲーム音楽やポップス、映画音楽の形であれば、特に抵抗なく聴かれている。映画『2001年宇宙の旅』で、単独の音楽作品としてはほとんど聴かれることのないリゲティの曲が使われていたことは、ご存じの方も多いだろう。私はたまたまその作品を知っていたから、「あっ、リゲティだ、リゲティだ」と騒いだが、周囲の人の反応はほとんどなかった。単なるBGMだと思っていたのだ。

 なおできるだけ広く門戸を開いておきたいという考えからすると、クラシック系だけでなく、ポップスやロックの音楽家を目指す人たちにも、同様の機会を与えたいと思う。

[音楽の歴史を理解するということ]

 歴史に関心のない人たちは、「過去にはいろいろあったけれども、結局一番合理的なところに収まって、現代社会が完成した」と思い込んでいる人が少なくない。現代は完全な世の中であり、過去の問題はすっかり片付いているので、今更議論する必要もないと思っているのだ。

 ところが、実はそうではない。過去の問題がすべて解決されているなら、アラブ諸国とキリスト教国の争いなど、あるわけがない。今世界で起きている戦争は、最近になって発生したのでなく、もっと古い時代からの争いの名残なのだ。

 現在の世界は、これからも変転していく歴史の中の一場面であって、最終結論ではなく、暫定的な状態に過ぎない。人類の歴史は常に進歩と発展の一方向を目指しているわけではない。グラフに書くと、上がったり下がったりのギザギザの波形になるだろう。株価と同じようなもので、一時的に退歩し、縮小することもある。個別の国を見ると、後から見れば全くの悪であったようなことが行われたケースも少なくない。

 たとえばドイツ人は、ヒトラーのナチスが登場すると、ほぼ全国民が熱狂的に支持した。第一次大戦での敗北で崩壊していたドイツ経済は、アメリカに端を発した大恐慌で、さらに厳しい状況にあった。それがヒトラーによって奇跡的な立ち直りを見せ、ドイツ人の失業率は劇的に低下した。その裏にはユダヤ人の迫害があったのだが、彼らはドイツ人の職業に侵入し、不況下における多くのドイツ人の失業の原因になっていた。少なくともドイツ人にとっては、それが共通認識だった。だからユダヤ人の企業や商店が襲撃され、大した根拠もなく収容所に送られることになったのだ。多くのドイツ人にとっては、この頃は輝かしい進歩の時代と思われただろう。

 日韓併合も忌まわしい思い出だが、30年以上の間続いたので、私の父母など終戦時にまだ30歳前だった人たちには、「朝鮮半島は日本固有の領土」という考えが根強かった。領土を拡大したので、意気軒昂だった時代でもある。当時はまだ帝国主義戦争の余波があった。他国を武力で征服しても、それほど悪いことと思われていなかったのだ。今から考えるとおぞましいことだが、「勝てば官軍、力は正義なり」というのは、現代人も持っている考え方である。

 このように、現在の世界の状態も、あらゆる要因を考え合わせて、すべての問題点が解決された合理的な状態というわけには行かない。われわれが学校で学んだ歴史は、「ああなって、こうなって、今はこんな風になっています」という話に過ぎないのだが、なぜかわれわれは「いろいろ問題はありましたが、今は全部解決されて結論はこうなっています」という話のように受け取る。「歴史なんか関係ない」「昔の人が悩んだ問題なんか全部解決済み」と思うのは、バカげた能天気である。

 私の子供の頃、ソクラテスについて(厳密には、プラトンの対話篇に書かれたソクラテスについて)話していたら、ある人が「人類はもっと『進化』しているから、ギリシャ時代の話なんかどうでもいい」と言う人がいた。では、そのソクラテスの論理を本当に現代人は乗り越えたのか?ソクラテスが発したすべての質問に、より『進化』した頭なら、全部答えることができるのか?

 ヘーゲルは「哲学史はまるでバカの展覧会のように見える」と書いていた。つまりギリシャ時代の哲人はこれこれと主張したが、後代の人たちはそれを批判し、修正して新しい主張をする。次代の人はまたその不備をえぐり出し、新たな理論を唱える。こうして次々に前代は後代よりバカであり、哲学史上に登場する人物はみんなバカに見えてしまう。特にニュートン以降の近代科学は、思考手段として数学モデルを用いるようになったので、文学的ないし詩的思考に偏りがちな哲学者の論述は、方法そのものからしてバカげているように見える。結論を言えば、現代人が最も賢明で、それ以前の人たちは全員バカに見える。現代の最新理論さえ知れば、それ以前の人たちの考えたことは、改めて検討するには足りないというわけだ。

 だが現代の物理学を知っている人でも、相対性理論を説明せよと言われると、きちんとした説明をする人は少ない。実験的にはほぼ完全に証明されているのに、まだ根拠薄弱な仮説に過ぎないと考えている人もいる。その上量子論が現れてアインシュタインの物質観が過去のものになったと聞くと、まだ相対性理論さえ理解できないのに、もう知る必要はないと決めてしまう。量子論なら、なおさら分からない。こうして自分ではほとんど考えず、問題は誰か「賢い人」に任せておけばいい。最終結論さえ知ればいいと思う人たちが増えている。

 その結果、現代人の大半は、もうとっくの昔に解決されたような基本的問題さえ分からず、身近な日常の問題に埋没して、そのつど原始的な思考経路を蒸し返すことになる。たとえば、現在でも「重いものは速く落ち、軽いものは遅く落ちる」と思い込んでいる人が少なくないし、地球の重さはどうやって測定するのか、全く見当も付かない人が多いだろう。

 もしガリレオやニュートンがたどった思考経路を知っていれば、そうした問題で思い違いをすることはないのである。これが歴史を知る意義の一つだ。

 たとえばガリレオは、重いものも軽いものも同じ速度で落ちると主張したのだが、それは実験を繰り返して発見したわけではなく、純粋な思考実験の結果であった。伝説になっているピサの斜塔実験は、実際には行われなかったそうだが、行っていたら失敗に終わっただろうといわれる。空気中では粘性抵抗のため、重いものが速く落ちるからである(彼が実際に行った実験は、斜面を転がり落ちる球の速度の測定だそうで、これも現実にはあまりうまく行かなかっただろうと言われている。その頃は現在のように精度高く時間を測定する手段がなかったのだし、斜面と球との摩擦も無視できなかったはずだ)。

 過去の芸術家の中には、現代よりはるかに鋭敏な感性で、問題を捉えていた人が少なくない。モーツァルトやベートーヴェンたちが囚われていた閉塞状況と彼らの苦闘は、現代の若者の生きている状況とあまり変わりないものだ。モーツァルトの幸福感に満ちた音楽を聴くと、彼が苦闘したというのは信じられないように思う人もあるだろうが、彼は彼なりに、まだ来ぬ自由な芸術家の楽園を夢見て奮闘し、志半ばにして倒れたのだ。

 彼の時代には、演奏会にせよオペラにせよ、新作を上演しようとすると、費用の大部分は作曲家が自分で工面しなければならなかったそうだ。モーツァルトは晩年、これに苦しんだようだ。宮廷作曲家なら費用は雇い主の王侯貴族が出してくれる。ただし、その雇い主の気に入るような作品が要請される。ハイドンはエステルハージ公の宮廷作曲家だったが、例外的な自由が許された。雇い主のエステルハージ公が、ハイドンの作品に何一つ注文を付けず、どんなに新奇な作品でも、ほとんどフリーパスだったのだ。そういう立場に立てた作曲家は非常に少数である。

 その意味では、モーツァルト晩年の『魔笛』などは委嘱作品であり、上演費用をほとんど興行主のシカネーダーが出すのだから、理想に近い形態だっただろう。またこの頃から、市民階級向けのコンサートが行われるようになっていた。人気の演奏家なら、興業主が費用を出して招聘することがあった。そうした機会は多くない。モーツァルトの死後、ベートーヴェン時代になると、そういうことも普通に行われるようになった。

 以上を要約すると、音楽図書館の目的は、一つには音楽に接する機会が少ない人のため、経済的にあまり余裕がない人も自由に音楽を楽しめる場所を作りたいということ、音楽や音楽史研究の場を設けること、作曲家を目指す人たちに、作品の発表機会を与えることにある。


とっぷ  オーディオ談義
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