ここで紹介している主な作品
歌曲『秋』
歌曲『月の光』
歌曲集『イヴの歌」
レクィエム
夜想曲集
































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フォーレ


フォーレ(1845−1924)
(画像はWikipediaからいただきました)
 フォーレは、フランスの作曲家としては、最も日本人好みかも知れない。初期の作品は甘美なメロディを持ち、全体として優しく控えめな性格の音楽である。当時の音楽界は、ワーグナーの影響下にあったが、彼はほとんどそれに関心を示さず、独自の音楽を目指した。ただしオペラ『ペネロープ』は、かなり壮大に響くところがある(同時期にショーソンの『アルテュス王』を聴き、現在どちらも手元にないので、記憶が混同されているかも知れない。ショーソンはアーサー王伝説が題材なので、ワーグナーの影響が顕著だった。『ペネロープ』はユリシーズが題材であり、やはり英雄伝説なので、少しワーグナー風のところがある)。

 彼の作品リストは、歌曲、室内楽曲、ピアノ曲が中心であり、その作品目録は、シューマンを思わせる。作品の多くが、サロンでの小規模な音楽会で発表されたらしい。そのため最初は「サロン作曲家」として軽く見られた。実を言うと、ショパンもどちらかと言えばサロンの作曲家であり、コンサート・ホールのような広い場所でピアノを弾くのが苦手であった。大きな音で弾くことができなかったのである。しかし当時、すでにショパンは大ピアニストと思われていたので、フォーレをそうした観点から見るのは適当ではなかった。

 もっとも、現在でも酒場などで自作の軽い小品を弾く人はあり、そういう作品の価値を正しく見抜くだけの審美眼は、誰にもあるわけではない。

 彼については、特に神童だったという話は残っていない。しかし16才頃から作曲を始めていたようで、そんなに遅くスタートしたわけではなかった。ニデルメイエール音楽学校でサン=サーンスの教育を受け、マスネーの音楽にも影響されたのだが、「自分の音楽は時代の好尚に受け入れられないのではないか」という恐れがあったのだと思う。生涯の後半は音楽学校の校長を務めて時間を取られ、さらに晩年には聴覚障害のため、作曲に困難を来した。そのため、小品が多い割には作品数が少なく、全部で120曲程度である。なお、フォーレの「控えめ」な人物というイメージと違って、校長時代には、自分の趣味に反する一派を学校から追放するのに強権をふるったという。


歌曲『秋』Op.18−3

 私が最も好きな曲で、フォーレには珍しく激情的な面もある。ピアノが低音で詠嘆的な旋律を奏で、やや朗唱風の声が青春の悔恨を歌う。

 クルイセンのバリトン、ノエル・リーのピアノ。この演奏のレコードで初めてこの曲を知ったので、今も一番愛着を感じる。クルイセンの爽やかで清潔感のある歌唱と、リーの繊細透明できらめくようなピアノの絡み合いがすばらしい。国内盤はないが、輸入盤2枚組のCDが出ている。昔聴いたLPにはなかった『優しき歌』や『蜃気楼』も入っている(改めて調べたところ、現在このCDはカタログから消えているらしい)。

 アメリンクのソプラノ、ボールドウィンのピアノ。これはEMIから出ている『歌曲全集』の演奏だ。アメリンクはやや強めに張った声で歌っており、内容を考えればもちろんそれで良いのだが、この全集中の他の彼女の歌唱に比べると、特に優れているとは言い難い。伴奏は優れていると思う。

 なお、この全集はアメリンクとスゼー(バリトン)が分担して歌っており、時折ソプラノの2重唱があるのは、録音による合成である。


歌曲『月の光』

 言わずと知れたフォーレの歌曲中第一の名歌である。ショーソンの『愛と海の詩』、デュパルクの『旅への誘い』などと並んでフランス歌曲を代表するものだ。

 歌詞はヴェルレーヌだが、非常に奇妙である。恋人の心をよぎる幻影が月明かりの下の道化芝居のように意表を突く滑稽な形で現れてくるのだが、その底には理解を超えた悲しみが横たわっている、といった内容だ。あからさまに言えば、ここでの恋人は、類い稀な美少年にして激烈な毒舌家、しかも天才的な詩人でもあったランボーのことだろう。この二人の同性愛と破局は、当時大変なスキャンダルとなり、ヴェルレーヌはランボーを拳銃で撃って投獄されるに至ったのだが、フランス語で読めば美しい詩なのだろう。フォーレが付けたメロディは、あくまで美しい抒情であり、繊細優雅な幻想であった。

 クルイセン=リー。陶酔的なまでに美しく歌われている。朗唱風に始まる歌とピアノの絡み合いが美しい。

 スゼー=ボールドウィン。丁寧に歌っているが、やや野太い声なので、残念ながら繊細感が不足するように聞こえる。ボールドウィンはここでもいい伴奏を付けている。

 ゲッダ(テノール)=プレートル/トゥールーズキャピトル国立管。『フォーレ管弦楽曲集』の第2巻に入っていて、『マスクとベルガマスク』という舞台作品の中の1曲となっている。この『管弦楽曲集』は優れた内容で、フォーレ好きなら一聴の価値がある。ゲッダの歌唱は抒情味があり、聴いた気分は良い。管弦楽伴奏も悪くないが、ピアノに比べてどうかと言うと、私自身はピアノの方が好みである。


歌曲集『イヴの歌』

 人類が誕生した頃の、神秘的で透明な光に満ちた世界を描くという、かなり奇抜な歌曲集である。フォーレの作品は、最晩年には聴覚障害(高い音は実際より低く、低い音は高く聞こえる、という奇妙な症状)のせいもあり、だんだん音域が狭められ、メロディの魅力に乏しい晦渋な作風になっていった。実を言うと、私は最後の歌曲集『幻想の地平線』などは、未だに好きになれないでいる。この『イヴの歌』は、まだその晦渋さがさほど強く現れておらず、不思議な魅力が味わえる。

 これはアメリンクの全集版しかない。と思ったが、他にも録音はあるらしい。とは言え、入手しやすいのはこの全集版である。アメリンクの歌唱もボールドウィンの伴奏も優秀だと思う。現在は全集が非常に廉価で出ている(ブリリアント。ただし輸入盤)。全曲録音が少ないのは、演奏時間が長い(アメリンク盤では24分)割りには、人気が低いからだろう。LPなら、片面が埋まってしまう。片面が売れ筋の初期歌曲で、もう片面が『イヴの歌』全曲だとしたら、そんなによく売れるとは思えない。商品企画としては、かなりつらいのである。

 なおフォーレの歌曲集は、国内盤があまり見当たらないのだが、訳詞については、私は専ら音楽之友社から出ていた『新編世界大音楽全集』を参照している。


『レクィエム』

 古今の「レクィエム」の中で、モーツァルトと並んで、最も人気の高い作品だろう。これを聴いてフォーレが好きになったという人もいるはずだ。ある人は遺言で、自分の葬儀にこの曲を流してくれるようにと言い残し、実際その通りに行われた。自分の葬儀にブラームスの「ドイツ・レクィエム」やドヴォルザークの「レクィエム」を流してほしいと願う人はいないのではないだろうか。どちらも名曲なのだが、ブラームスは何だか説教臭いし、ドヴォルザークは嘆きが表面に出過ぎている。死者のための音楽と言うより、生き残った人たちのための音楽になっているわけだ。フォーレは、死者の安らぎという側面が主体になっていて、いかにも死んだ人が安らかに天国に向かっているように聞こえる。

 それも当然で、レクィエムという音楽は、本来死の恐怖や最後の審判への恐れを表現するものだったらしい。説教では「死は救いだ」などと言っても、キリスト教圏では、やはり死は恐ろしい罰であり、死者の行いを生き残った人たちへの見せしめのように扱って、最後に死者の平安を祈る。だから死をひたすら安らぎのように描いたフォーレの作品は、「異教的だ」とまで言われたそうだ。

 作品の成立にはかなりの時日を要し、父の死をきっかけに着手されたというのが定説だが、実際にはそれ以前に作曲された部分もあるらしい。この曲の成立前後にはいくつかの宗教的作品が書かれており、その中には、この曲の中の楽章として構想されたものもあっただろうと思われる。

 コルボ=ベルン交響楽団。しばしばこの曲のベスト・ワンとされる名盤(72年録音)。やはり一番フォーレのイメージに近い演奏だろう。ボーイ・ソプラノはクレマン。冒頭の音からして、できるだけ優しく演奏しようという意図が感じられ、うっすらと微光が差しているように聞こえる。「ピエ・イエズ」のボーイ・ソプラノは長く音を引き伸ばしたときのふらつき(息が続かない)が少し気になるが、音の頭が正確だ。音感は優れているようで、許容範囲である。成立事情から見ても、この曲は完全な統一体ではないのだが、コルボ盤は全曲が同じ雰囲気に貫かれ、統一感がある。

 フルネ=ロッテルダム・フィル。75年録音。フィリップスの廉価盤で出ているCDである。ソプラノがアメリンク、バリトンもクルイセンという豪華メンバー。微妙な差だが、コルボ盤に比べて幾分悲劇的感情が強く出ているようだ。「ピエ・イエズ」はアメリンクなので、何の不安もなく聴ける。文句なしに名演で、あまり評価されていないのが不思議である。これが廉価に入手できるのはラッキーと言うべきだ。併録の「ペレアスとメリザンド」もいい曲だし演奏(ジンマン)も悪くないので、「シシリエンヌ」しか知らないという人がいたら、一聴をお奨めする。

 チェリビダッケ=ミュンヘン・フィル。チェリビダッケ・エディションVol.4の中の一枚である。コンサート・ライブなので、初めに拍手が入っているし、音が他のCDの教会の中のような響きとずいぶん違う。チェリビダッケは曲の統一感を大切にしたと思うのだが、「オッフェルトリウム」を聴くと、何か大きなドラマに向かって準備しているような印象だったので、「サンクトゥス」はもう少しと思わないでもない。「ピエ・イエズ」のソプラノはマーガレット・プライスだが、非常に遅いテンポなので、棒に合わせるのが大変なようだ。続く「アニュス・デイ」が一つ目の山場で、大きなアゴーギクを置いている。「リベラ・メ」はかなり苦悩に満ちた表現であり、「イン・パラディスム」に向かってあえぎながら昇っていくという感じだ。その解釈には異論もあろうが、これはこれで一代の名匠の演奏であり、傾聴に値すると思う。

 フレモー=モンテ・カルロ国立管。ボーイ・ソプラノはティリエ。これはエラート/クラシック100という廉価盤のセットに入っていたもので、かつて名盤とされていた録音(63年)である。「キリエ」はかなり激しい表現である。「オッフェルトリウム」は、表現の方向が見定めがたい。「ピエ・イエズ」におけるボーイ・ソプラノの音程の不安定さを許容できるかどうかで、評価が別れそうだ。「リベラ・メ」は暗く沈鬱。最後の「イン・パラディスム」は文句ないが、録音のせいか、全体に暗く聞こえる。


『夜想曲集』

 夜想曲といえばショパン(21曲)だが、フォーレの作品(13曲)も人気がある。初期の曲は甘美なメロディを持ち、第1番などは非常に親しみやすい。

 フォーレの夜想曲は、ショパンのようにあるメロディに次第に手の込んだ修飾を加えて行くようなものでなく、短いインターバルで和声が様々に変化するのである。第4番は変ホ長調だが、主題がすでに長調と短調の交代するメロディである。気まぐれとも言える気分の変化、心の移ろいを表現しようとしているのだろう。

 こう言えば「印象派か?」と思う人もあるだろうが、少なくとも日本では、「印象派」の概念は、大きな誤解を受けている。本来の意味は「『印象』派」であって、モネの『印象・日の出』の表現方法に賛同する人たち、ということであった。

 モネの絵は、緻密を極めた写実でなく、一捌けでさっと日の出や雲を描く。絵を描いた人なら誰でも分かるが、その一捌けが名人にしかできない鮮やかな筆法なのだ。色彩も正に対象物の印象を捕らえている。だが『印象・日の出』が発表されたときは、「とんでもなく乱暴で、子供の絵のようだ」と酷評された。

 ところが「落選絵画展」だったかで、若い芸術家たちの心を捉え、その描き方を支持する人が増えた。細部の写実描写にこだわらずに見ると、モネの絵は非常にリアルなものである。「時刻の画家」とも言われるほど、絵を見ただけで描かれた風景の時刻、水ののるみ具合、風の温度まで分かるような気がする。

 そこで、それまでの音楽に行き詰まりを感じていた作曲家たちは、写実、すなわち調性感のはっきりしたメロディラインを破棄して、新しい和声とメロディを書こうとした。ドビュッシーの全音音階などがそうである。

 彼らの「印象」とは、外界から訪れて心を打つものだったが、同じ頃に現れた「象徴主義」はもう少し違う。彼らは事物に感情移入するのだが、事物はそれ自身の運命を持っており、その運命をたどる。寓意においては、事物の運命は作者が比喩しようとする寓意に従っていた。象徴はそうでない。描写される対象と、感情移入した作者の意志との間に決定的な乖離があり、そのことが予言的なもの、悲劇の予感を与えるのである。日本では、そういう比喩と象徴の違いもあまり理解されていない。

 それはさておき、第4番以降はメロディの要素(すなわち覚えて口ずさみたくなるメロディ)が次第に少なくなる。その意味で、やはりショパンとは非常に違うのである。

 私は以前ハイドシェックのCDを聴いていた。演奏そのものは良かったのだが、録音がやや乾き気味であまり気に入らず、最近はもっぱらコラールのものを聴いている。これは音がみずみずしく聞こえ、演奏もいい。

 できればユボーやドワイヤンも聴いてみたいが、まだ果たしていない。


とっぷ  プッチーニ  ラフマニノフ  
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