『古事記傳』1−3


旧事紀について(旧事紀といふ書の論)

 世に「旧事本紀」という十巻の本があるが、これは後代の人が作った偽書であり、聖徳太子命の撰んだ真の書ではない。【序文も書紀の推古の巻を参考に、後代の人が作った文である。】といっても、全く根も葉もないことをひたすら造作したというものでもなく、古事記と日本書紀を取り合わせて造ったものである。そのことは一度読んでみればよく分かるのだが、なお疑問に思うなら、神代の事を書いた部分を、注意してみるといい。古事記と書紀の文を、元のままに取り混ぜて作ってあるので、文体が入り混じっている。木に竹を接いだような感じである。また古事記と書紀を二つとも採用して、同じことが重複している例もあり、非常にみだりがわしい。この記と書紀は、文体や物の名の文字さえ大きく違っているので、両方を混ぜれば、両者の違いが鮮明に露呈する。時々は古語拾遺からも取られており、これも元の文のままなので、違いがよく分かる。【これによって見ると、大同の世より後に造られたものであろう。だから中に「嵯峨天皇」という名も見える。】そして神武天皇以降のことは、もっぱら書紀の文を取り、ところどころ省略して書いてある。文が書紀と全く同じなので、明らかである。その上、歌はすべて省いてあるのだが、どうしたわけか~武巻だけは、歌も仮名遣いまで書紀とそっくり同じに書いてある。また某本紀、某本紀と各巻の名も、みな不適当である。およそ正しい書とは言えない。ただし第三巻の饒速日命が天から降られたときの事と、第五巻にある尾張連と物部連の系譜、第十巻の国造本紀については、他のどの書にもなく、全く新しく作ったようでもないので、現在は失われた古書から取られたのであろう。【これらにも疑わしい点はある。それはその部分部分で判断すべきである。】そうしたわけで、これらの部分については、今でも参考にされ、古代史を解釈する一助になっているのである。また古事記の現行本には誤字が多いが、旧事本紀に取られた文は、まだ間違いが少なかった原本に近い本から引用されたのか、今もたまたま正しく書かれたところがあり、その点でも助けになっている。しかしこれらを除いては無用の書である。【○「先代旧事本紀大成経」という本もある。これは近世に至って造り出されたもので、ことごとく偽りである。また「神別本紀」という本もあるが、やはり近世の作り物である。その他神道者という人たちの用いる本には、あれこれ偽りが多い。古学を詳細に学べば、書の真偽はよく分かってくるものである。】


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