『古事記傳』(現代語訳)


『古事記傳」の現代語訳について
2010/03/22
 本居宣長の古事記伝は、単に古典の研究にとどまらず、古代史研究に強い影響を与えた大著である。完成まで三十六年もかけたそうで、畢生の大作だったわけだ。読めば分かるように、古事記だけでなく日本書紀についても鋭い洞察力を発揮していて、この分野では、今でも最高の研究書の一つとされる。

 さまざまな文献を渉猟して、多数の例証を挙げてあり、宣長自身の言葉を借りると「こちたき」までに論じ立てている。しかし当時の歴史学は、古今の文献をもとに議論する方法しかなく、漢学者からの攻撃も、同様に「こちたき」ものだったから、それを論破するためには、宣長の議論も、そうならざるを得なかったのだろう。

 われわれから見ると、特に神名の詮索などは何を熱く語っているのか、全くバカバカしいとしか思えないような議論である。だがそれを通じて、彼の古代幻想(たとえば天照大御神は今も現実に高天の原に住んでいて、空を見上げると、そのお姿が毎日太陽として見える、と信じた)が説得力を持ったのだと思われる。

 江戸時代に書かれた文章は現代語とあまり変わらないので、『源氏物語』のように難しくはなく、慣れれば大部分はそのまますんなりと読めるものだが、現代では、やはり文語は難しく、とっつきにくいという人が少なくない。そこで非力ながら、現代語訳を行うことにした。

 しかしながら、そのまま現代語に置き換えても、かえって読みにくくなると思った部分もあり、そういう場合には適宜意訳した。間違いがあれば、すべて私の責任である。後日訂正する可能性がある。

 当初は「成りませる」を「お生まれになった」などと訳していたが、敬語が過剰と思われるので、できるだけ省いた。宣長自身は神や天皇に最大限の敬意を払って書いている。

 宣長はあくまで「古語」を追求したので、その文を現代語訳するなどというのは、自己矛盾の作業だ。だが、上記のように古代史全般に影響した研究であるから、意義が全くないわけではないと思っている。

 同時に、宣長の主張も決して首尾一貫しているわけでなく、論理的な破綻もある。また宣長は、抽象語をできるだけ使うまいと努めながら、抽象的な論理構成をしようとした。現在のように西欧的なカテゴリー分類、または現代の国語学の用語などを援用すると、もっと簡潔に書けると感じるところがあり、注釈したくなるのだが、最低限にとどめた。

 本来は「原文対照」が望ましいが、分量が多くなりすぎるので、訳文だけを掲げた。祝詞や古事記、書紀の漢文を引用して言葉の用例詮索を行ったところも、原文表記が論旨に関係のないところは訳文だけにした。

 漢文の返り点は、パソコンでは本文と区別が付きにくいが、「古事記」のテキストには上声、去声などの記入があり、返り点の上中下と、なおさら紛らわしい。悩んだあげく、返り点の上中下は、ABCと表記することにした。違和感はあるが、混同は避けられる。なお上声の「上」などは《上》と二重のヤマカッコで示した。

 また返り点の返り先が二字を合わせて読む場合は、「=」で結ぶことにした。当初マイナス記号で結んでいたが、漢数字の「一」と紛らわしい。イコール記号は「二」とかなり違って見えるからである。このイコール記号の側に返り点を入れるのが普通だが、見にくくなるため後ろの文字に付けたところ、一部は原則から外れてしまった(1文字返るときはカタカナの「レ」を付け、2文字以上返るときは1、2などを付けるのが規則だが、一部は表面上1文字しか返っていないのに1、2と付けたところがある)。

 原文(底本)には段落付けが少なく、べったりと書いてあるという印象である。それも読みにくさの一因なので、適当に段落付けしようかとも思ったが、原文と対照する人もあるかと思うので、あまり恣意的なやり方はせず、ほぼ底本に従ったレイアウトにした。(ちなみに筑摩書房版の「本居宣長全集第九〜十一巻」では註釈項目間に改行があり、少し読みやすくなっている。)

 宣長の用いたテキストは、現在一般に流布しているものと少し違いがあるようで、訓読も異なる部分があるが、あえて注釈しなかった。ただし入門者にとってあまりにも分かりにくい「軽嶋の宮の段」などという記述は、適宜天皇名を補った。

 また「直毘霊」では、宣長は祝詞(のりと)などにある古代語をいくつか使っており、現代語にしても分からない表現になるところがある。この他、論旨がすぐに分からない部分は、私に分かる範囲で注釈した。

 「かな」で付けた訓読は、原則として現代仮名遣いによっている。「む」を「ん」と読むかどうかなど、現代の通常の読み方が分からないところもあるが、適宜判断して付けた。旧仮名遣いでの議論がある箇所には、旧仮名使いでの表記を加えた。また少し長めの文章の訓読は、ひらがなとカタカナを併用して、句の区切りを明確にするよう試みた。

 古事記上巻分については、岩波文庫版『古事記伝』(倉野憲司校訂:2010年2月復刊本、四分冊)を底本とする。ただし印刷不鮮明で読み取れない漢字もあるため、適宜筑摩書房の「本居宣長全集」版を参照した。

 訓読は基本的に宣長の読みに依拠したが、不明なところは岩波古典文学大系『古事記・祝詞』および同『日本書紀』の訓を流用した。

 底本には誤植と思われる箇所があり、明らかな場合は独断で修正した。誤植かどうか分からないところは、カッコ付きで修正候補を示し、「?」を付けた。

 なお「直毘霊」については、中央公論社の「日本の名著」にも現代語訳があり、他にもWEB上で紹介されている。二之巻の系図は省略した。底本の系図はあまり見やすくなく、WEBで他に見やすいものがあるからである。

 歌好きの宣長らしく、万葉集などからの引用が多い。それも含めて現代語訳するとカサが大きくなりすぎるので、万葉は歌の番号を示し、読みだけを付けることにした。万葉集、古今和歌集などは、現代語の注釈書がたくさん出ているからである。

 2010年12月16日、岩波文庫版『古事記伝」全冊終了。

 2011年3月、人代巻の現代語訳を開始。底本は吉川弘文館の校訂「古事記傳」乾・坤二巻(昭和10年)を使用した。ただし誤植もあるようなので、適宜筑摩書房の全集本を参照した。

 2012年6月7日、ひとまず入力は完了した。2年を越えてかかってしまった。索引は省略。

 一応のチェックはしたが、誤訳や誤入力、誤変換などがあるかも知れない。随時訂正する。

目次

『古事記傳』一之巻
○古記典等総論(いにしえブミどものスベテノさだ)
 古事記、日本書紀の成立過程を論じ、古事記は上代のことを口誦で伝え、そのまま記しているが、日本書紀は漢籍に似せるための潤色や作為が多いと言う。
○書紀の論ひ(しょきのアゲツラヒ)
 上記で言った日本書紀の潤色・作為について、詳しく言う。
○旧事紀といふ書の論(クジキといふフミのロン)
 先代旧事本紀は日本書紀と古事記を突き混ぜて作った後代の偽書であると論する。
○記題号(ふみのな)の事
 古事記という書名について論ずる。
○諸本又註釈の事
 古事記の各種の版、注釈本について述べる。
○文体(かきざま)の事
 漢文、借字、仮字を取り混ぜた書き方について概説する。
○仮字(かな)の事
 古事記で用いられた仮字の一覧。ここから古代日本語の音韻論などが生まれた。
○訓法(よみざま)の事
 古事記をいかに読むかを概説する。特に漢文読みをできるだけ避け、大和言葉風に読むべきであると説く。
○直毘霊(なおびのみたま)
 いにしえの精神を失わせているのは、禍日神の仕業であり、直毘神によってそれを正しい道に戻すべきだと説く。武士が世を支配し、儒学が隆盛を極めていることを痛烈に批判し、後の皇国史観のバックボーンとなった章である。

『古事記傳』二之巻
○序文の解
 古事記序文について、その漢籍からの引用源などを解説する。宣長自身も漢籍の学からスタートしていたので、かなり鋭い解を示している。
○系図(省略)

『古事記傳』三之巻
 神代一之巻(天地初発の段)
  天地が始まった。天御中主神から別天神までの神名を論じる。
 神代一之巻(神世七代の段)
  次の世代の神々について論じる。最後に伊邪那岐・伊邪那美二神が生まれる。

『古事記傳』四之巻
 神代二之巻(淤能碁呂嶋の段)
  伊邪那岐・伊邪那美による国生みの開始。
 神代二之巻(美斗能麻具波比の段)
  伊邪那岐・伊邪那美が「みとのまぐわい」を行う。

『古事記傳』五之巻
 神代三之巻(大八嶋成出の段)
  伊邪那美神は次々に日本の国土を生む。
 神代三之巻(諸神等生坐の段)
  次に様々な神々を生む。
 神代三之巻(伊邪那美命石隠の段)
  伊邪那美神は、最後に火の神を生んで死んでしまう。
 神代三之巻(迦具土神被殺の段)
  伊邪那岐神は怒りにまかせて火の神を殺す。
 神代三之巻(おひつぎの考)
  国生みで生んだ地名や、伊邪那美神を葬った比婆山のある場所について、追加の考察をする。

『古事記傳』六之巻
 神代四之巻(夜見国の段)
  伊邪那岐神は、死んだ妻を追って黄泉の国に行く。
 神代四之巻(御身滌の段)
  現世に戻った伊邪那岐は黄泉の穢れを祓うため禊ぎを行い、最後に天照大御神など三柱の貴神を生む。
 神代四之巻(おひつぎの考)
  黄泉の国での伊邪那岐・伊邪那美神の会話について追加の考察。

『古事記傳』七之巻
 神代五之巻(三柱貴御子御言依さしの段)
  伊邪那岐大神は天照大御神は高天の原、月読命は夜の国、須佐之男命には海原と三貴神それぞれに治めるべき国を割り当てる。
 神代五之巻(須佐之男命御啼伊佐知の段)
  須佐之男命は母を懐かしがって泣いてばかりいたので、伊邪那岐命から、現世の国にいてはならないと言い渡される。そこで姉の天照大御神に別れを告げるため天上に上るが、高天の原を奪おうとしていると疑われ、「誓(うけ)い」をおこなうことになった。
 神代五之巻(御宇氣比の段)
  須佐之男命は「誓い」で勝つ。このとき、重要な諸神が生まれた。
 神代五之巻(男御子女御子御詔別の段)
  天照大神は「誓い」から生まれた諸神を、それぞれに振り分ける。

『古事記傳』八之巻
 神代六之巻(須佐之男命御荒備の段)
  「誓い」に勝ったおごりからか、須佐之男命は高天の原で乱暴狼藉を尽くし、天照大御神は天の石屋に籠もってしまう。
 神代六之巻(天石屋の段)
  天も地も真っ暗になったので、神々が相談して天照大御神を天の石屋から引き出そうとする。天宇受女(あめのうずめ)命が登場する。

『古事記傳』九之巻
 神代七之巻(須佐之男命御被避の段)
  須佐之男命はついに高天の原から追放される。そのとき大氣津比賣(おおげつひめ)に会い、誤解から彼女を殺してしまう。
 神代六之巻(八俣遠呂智の段)
  須佐之男命は根の国に向かう途中、出雲の斐伊川で八頭八尾の怪物、八俣遠呂智(やまたのおろち)を退治する。
 神代七之巻(須賀宮の段)
  須佐之男命は助けた櫛名田比賣と共に出雲の須賀に宮を作って住む。
 神代七之巻(大國主神御祖の段)
  須佐之男命の子孫の神々が列挙される。その最後に大穴牟遲命(大国主命)が生まれる。

『古事記傳』十之巻
 神代八之巻(稲羽の素莵の段)
  有名な因幡の白兎のお話。
 神代八之巻(手間山の段)
  大穴牟遲命は、八上比賣への求婚で兄たち八十神に憎まれ、二度殺されて、二度蘇る。
 神代八之巻(根の堅洲國の段)
  大穴牟遲命は根の国の須佐之男命のもとを訪れ、正妻の須勢理毘賣と出会う。ここで須佐之男命の試みによる苦難を受けるが、須勢理毘賣の助けなどにより逃れ、ついに須佐之男命から現世において大国主命となれと言われる。
 神代八之巻(おひつぎの考)

  因幡の白兎(菟神)についての追加の考察。

『古事記傳』十一之巻
 神代九之巻(八千矛神の御妻問の段)
  大穴牟遲命は越の沼河比賣に求婚する。その歌のやりとり。
 神代九之巻(宇伎由比の段)
  大穴牟遲命が旅に出ようとして、妻の須勢理毘賣と歌のやりとりをする。
 神代九之巻(大國主神の御末の神等の段)
  大穴牟遅命の子孫の神々の系譜が述べられる。

『古事記傳』十二之巻
 神代十之巻(少名毘古那神の段)
  大穴牟遲命の国造りに協力した小さい神、少名毘古那神の話。
 神代十之巻(幸魂奇魂の段)
  少名毘古那神が常世の國に去った後、新たな協力者、大物主神が出現する。
 神代九之巻(大年神、羽山戸大國主神の御子等の段)
  大穴牟遅命の子孫、大年神と羽山戸神の子孫の系譜が述べられる。

『古事記傳』十三之巻
 神代十一之巻(國平御議の段)
  天照大御神は自分の子を葦原の中つ國に天降らせようとすると、そこが騒がしかったので、天菩比の命に平定させようとしたが、彼は大国主神に媚び付いて、還ってこなかった。
 神代十一之巻(天若日子の段)
  新たに天若日子を平定に差し向けたが、彼も大国主神の娘下照比賣を娶って住み着き、還ってこなかった。彼は天神の返し矢で死に、阿遲志貴高日子根神がその葬儀で暴れる。

『古事記傳』十四之巻
 神代十二之巻(大國主神國避の段)
  大国主神の息子、事代主神と建御名方が天神の御子に国を譲ることを承知したので、大国主神も現世の国を去って、隠れ住むことになった。国譲りのお話。長大な章。
 神代十二之巻(おひつぎの考)
  国譲りの段についての追加の考察。

『古事記傳』十五之巻
 神代十三之巻(御孫命天降りの段)
  天照大御神は自分の子を天降らせるつもりだったが、孫が生まれたので、急遽孫を天降らせることになった。そのとき猿田比古神が現れる。これも長大な章。
 神代十三之巻(日向宮御鎮座の段)
  天孫は日向に天降り、そこに住む。
 神代十三之巻(おひつぎの考)
  八坂瓊の勾玉についての追加の考察。

『古事記傳』十六之巻
 神代十四之巻(猿女の君の段)
  猿田毘古の正体を現した功績により、天宇受賣命は猿女の君を名乗ることになった。
 神代十四之巻(猿田毘古神阿射加の段)
  猿田毘古は伊勢の阿射加の海で溺れ死ぬ。
 神代十四之巻(大山津見神詛の段)
  天孫は笠沙の岬で大山津見神の娘、コノハナサクヤ姫に会い、一目惚れする。しかし彼女の姉、石長比賣を娶らなかったため、人の命は短くなってしまった。
 神代十四之巻(木花佐久夜毘賣の御子産の段)
  木花佐久夜毘賣は炎の中で火照命(海幸彦)・火遠理命(山幸彦)たちを生む。

『古事記傳』十七之巻
 神代十五之巻(御幸易の段)
  海幸・山幸の兄弟は互いにいつも使う道具を交換するが、山幸彦は釣り針をなくしてしまう。
 神代十五之巻(綿津見の宮の段)
  山幸彦は海神の宮に行って、なくした釣り針を取り戻す。
 神代十五之巻(火照命奉仕の段)
  山幸彦が海神にもらった玉を使って兄を責めたので、兄は弟に服従する。
 神代十五之巻(鵜羽産屋の段)
  綿津見の宮で結婚していた海神の娘は、鰐の姿になって鵜葺草葺不合命を生む。
 神代十五之巻(鵜葺草葺不合命の御子等の段)
  鵜葺草葺不合命は、玉依比賣を娶って神武天皇兄弟を生む。

『三大考』
 この部分は宣長の書いたものでなく、弟子の服部中庸(なかつね)という人物の作である。今読むと宣長の論考以上にバカバカしいが、私は岩波文庫版「古事記伝」の全訳を当面の目標としていたし、当時の国学者は、一流の知識人でもこういうアホな妄想に耽っていたことを知る参考になると思い、一応訳しておいた。図は版権の問題があるかも知れないので、Windowsのペイントで作画したものを付けた。
『古事記傳』十八之巻(白檮原の宮上巻)
  「神武東征」の出発から大和入りまで。
『古事記傳』十九之巻(白檮原の宮中巻)
  強敵たちとの戦いと、白檮原の宮に落ち着くまで。
『古事記傳』二十之巻(白檮原の宮中巻)
  伊須氣余理比賣への求婚と、崩御後の後継争いまで。
『古事記傳』二十一之巻(高岡の宮の巻)
  綏靖天皇の巻。いわゆる欠史八代の最初で、書紀の即位前記の記事は前章で語られたため、本文の記事は少ない。
『古事記傳』二十一之巻(浮穴の宮の巻)
  安寧天皇の巻。
『古事記傳』二十一之巻(境岡の宮の巻)
  懿徳天皇の巻。
『古事記傳』二十一之巻(掖上の宮の巻)
  孝昭天皇の巻。
『古事記傳』二十一之巻(秋津嶋の宮の巻)
  孝安天皇の巻。欠史八代でも最も記事が少ない。
『古事記傳』二十一之巻(黒田の宮の巻)
  孝霊天皇の巻。皇子に有名人が多い。これ以降は子供の数が多くなり、記事も多い。
『古事記傳』二十二之巻(境原の宮の巻)
  孝元天皇の巻。
『古事記傳』二十二之巻(伊邪河の宮の巻)
  開化天皇の巻。欠史八代の最後の天皇。皇子の数は多いが、半数はその子孫が不明。
『古事記傳』二十三之巻(水垣の宮の巻)
  崇神天皇の巻。欠史八代と違って事件が多く、やや長い。
『古事記傳』二十四之巻(玉垣の宮上巻)
  垂仁天皇の上巻。即位から沙本毘賣の悲劇まで。
『古事記傳』二十五之巻(玉垣の宮下巻)
  物言わぬ皇子本牟智和氣の話から間に合わなかった橘の話まで。
『古事記傳』二十六之巻(日代の宮一之巻)
  景行天皇の巻の1。景行の皇子たちを列挙。
『古事記傳』二十七之巻(日代の宮二之巻)

  景行天皇の巻の2。倭建命の物語の1。熊曾征伐と蝦夷征伐が語られて、たいへん長い。
『古事記傳』二十八之巻(日代の宮三之巻)
  景行天皇の巻の3。倭建命が伊服山の~の息吹に当たって絶命するまで。
『古事記傳』二十九之巻(日代の宮四之巻)
  景行天皇の巻の四。倭建命が白鳥になった話から景行天皇の崩御まで。
『古事記傳』二十九之巻(志賀の宮の巻)
  成務天皇の段。事績が少なく、短い章。
『古事記傳』三十之巻(訶志比の宮上巻)
  仲哀天皇の巻の上。三韓征伐、應神誕生まで、実質は神功皇后の巻。
『古事記傳』三十一之巻(訶志比の宮下巻)

  仲哀天皇の巻の下。神功皇后は忍熊王たちを殺して酒宴を張る。
『古事記傳』三十二之巻(明の宮上巻)
  應神天皇の巻の上。実質は仁徳即位までの巻。
『古事記傳』三十三之巻(明の宮中巻)

  應神天皇の巻の中。應神の巻だが、実質は他の王たちの話。
    
『古事記傳』三十四之巻(明の宮下巻)
  應神天皇の巻の下。應神とは無関係な人々の話。
『古事記傳』三十五之巻(高津の宮上巻)
  仁徳天皇の巻の上。記事が多い。
『古事記傳』三十六之巻(高津の宮中巻)

  仁徳天皇の巻の中。同じく記事が多い。即位争いの話。 
『古事記傳』三十七之巻(高津の宮下巻)
  仁徳天皇の巻の下。本伝から離れた話が主。       
『古事記傳』三十八之巻−1(若櫻の宮の巻)
  履中天皇の巻。記事は多いが、即位前の話が主体。 
『古事記傳』三十八之巻−2(多治比の宮の巻)
  反正天皇の巻。記事が少なく、在位期間も短い。
『古事記傳』三十九巻(遠つ飛鳥の宮の巻)
  允恭天皇の巻。記事は大部分が輕太子の悲恋についてである。 
『古事記傳』四十之巻(穴穂の宮の巻)
  安康天皇の巻。実際の内容は雄略天皇の即位前記が主。       
『古事記傳』四十一之巻(朝倉の宮上巻)
  雄略天皇の上巻。記事は多いが、特に事件はない。 
『古事記傳』四十二之巻(朝倉の宮下巻)
  雄略天皇の下巻。記事は多いが事件はなく、歌物語になっている。
『古事記傳』四十三之巻(甕栗の宮)
  清寧天皇の巻。記事は大部分が顕宗天皇の即位前記である。
『古事記傳』四十三之巻_2(近つ飛鳥の宮)
  顕宗天皇の巻。
『古事記傳』四十三之巻_3(廣高の宮)
  仁賢天皇の巻。記事が少ない。
『古事記傳』四十三之巻_4(列木の宮)

  武烈天皇の巻。書紀のような悪王の記事はない。
『古事記傳』四十四之巻(玉穂の宮)
  継体天皇の巻。事件は少なく、後継者の記事が主体。
『古事記傳』四十四之巻_2(金箸の宮)
  安閑天皇の巻。
『古事記傳』四十四之巻_3(檜クマの宮)

  宣化天皇の巻。事件はない。
『古事記傳』四十四之巻_4(師木嶋の宮)
  欽明天皇の巻。事件はない。
『古事記傳』四十四之巻_5(他田の宮)
  敏達天皇の巻。事件はない。
『古事記傳』四十四之巻_6(池邊の宮)
  用明天皇の巻。
『古事記傳』四十四之巻_7(倉椅の宮)
  崇峻天皇の巻。
『古事記傳』四十四之巻_8(小治田の宮)

  推古天皇の巻。古事記伝はこれで終わり、ひとまず完了。
 

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